哲学書と化したアンパンマーチ

今や現代哲学言ったらアンパンと言うのは皆さんご存知有名な話しだが

 考えてみればこの曲って年齢層選ばないんじゃねーか?

アンパンってさ〜自分頭ちぎって、腹減った奴等にあげてるけどよ〜あれ子共の時見たけど、ポカーンって感じだったな、俺は詰まりあんまり考えてなかったんだろうけど、少し美味そー俺も食いてぇーって思ったと思う、正直何考えてたかはわからんよ、ブログ用に盛ったのが事実だが、そんな事はどうでもいいー現在、アンパンをどの様な目線で見てるかが大事な話しであって、過去のワイがアンパンをどう思ってたかは然程重要ではない、子共の時は純粋にカレーパンマンカッケェと思ってただけだから、何でか?カレー飛ばせるから飛び道具使えて強ぇ〜って単純な考えと、後あのカレーパンマンのキャラがガキのワイには、ハマったんだろうな、後々アンパンのアンパンチが強いと分かり、やっぱ飛び道具より打撃なんだな〜強いのはなんて思ってたよ、まぁその理論はハッキリ言って、ガンダムのビームサーベル理論に近いものがあるんだけど、打撃重視の感覚だね、アッガイとか旧ザクを自主的に使う使い手みたいな感覚よ打撃重視のさ〜格闘寄りのあの姿勢ね、ここまで説明したがハッキリ言ってわからんって方も多いと思うのですがそのは流し見て頂ければ、割とスムーズに見れるんでは無いだろうか?

詰まりはアンパンチはやっぱりアンパンチだよねって話し、まぁあれだな戦闘の話は置いておいて、精神面だよな、アンパンのメンタルってかなり病的な正義感が働いていると思うんだよ、ある程度の年齢層がアンパンを見ると、過重労働を物ともせずニコニコして、棒読みの喋りで正義を貫いている様にしか思えないんだよな、じゃなぜ恐ろしいく感じるのか?それは清廉潔白な者は正義故に自分の判断に歯止めが無い部分が存在すると考えられる、だからバイキマンの方が健全に見えてしまうのは、感情を隠さずオープンにしている部分が共感出来るからだろう、だから病的に見えるのはアンパンの頭をちぎってあげると言う精神は正に捨て身の精神でもあるのでは無いか?

理解され難い精神は病的に見えるものなのだろう、捨て身精神の様なものか?

 

何よりアンパンマンマーチを聴きながら今このブログを書いてますよ。

何が君の幸せって?言ってるよなアンパンマンマーチ、問いかけてるよね?

これね〜未だわからんって人も多いと思うんだよね、でも最終的に生きる喜びって言ってるから生きてるだけで良しとする。