天地を喰らうⅡ赤壁の戦いについて思ったこと

アーケードゲームといったらこのゲームが有名ですが、この天地を喰らうⅡ赤壁の戦いは家庭用版ゲームとしても発売されてますね家庭用ゲーム版だとセガサターン版とPS版があったような気がします。

詳しくは Wiki 書いてあります。

 1996年PlayStationセガサターンに移植され、Play Station版は2006年に『カプコン ゲームブックス』シリーズとして再発売された他、2011年PlayStation 3およびPlay Station Portable用ソフトとしてゲームアーカイブスにて配信された。

その他に携帯電話アプリゲームとしても移植され、2005年iアプリおよびVアプリ、2006年にEZアプリにて配信された。

アーケード版は後にNintendo SwitchPlayStation 4Xbox One用ソフトとして『カプコン ベルトアクション コレクション』(2018年)に収録され配信された。同作はWindows用ソフトとしてSteamにおいても配信された他、パッケージ版も発売されている。

てかスチームとかでも出てるんですね、もうこのゲームとかも実況とか簡単に出来る時代なんだな〜って思ったよ、思っただけだが、ここで昔から結構論争でなっている疑問の部分がある、五虎大将軍というのなら馬超はどこに行ったの?って話ですが、五虎大将軍というのは皆さんご存知ですが、15世紀にまとめられた小説『三国志演義』に出てくる呼称。それでwikiみたら蜀志(三国志正史)での扱いはま別でこうある。

五虎大将軍 – Wikipedia

 五虎大将軍の起源は、3世紀に書かれた歴史書『三国志』(「正史」)に遡る。5人の伝が、『蜀志』第6巻 「関張馬黄趙伝」として、1巻にまとめて記述されている。関羽、張飛、馬超、黄忠の4人が、それぞれ前将軍、右将軍、左将軍、後将軍に任じられた。趙雲はこのなかで比較的、昇進は遅く、新参の馬超、黄忠らに追い抜かれていた。

趙雲だって阿斗様(劉禅)救ったじゃん?なのに駄目なの?って感じで若すぎたんか?

ワイの三国志ネタは蒼天航路とドラマ三国志スリーキングダムス、とゲーム光栄の三国志(三国志11)ぐらいの知識しかない、ってか蒼天航路昔新刊で買っていたからな〜あれ全部売ってしまったよ、まぁ場所とるからキンドルとかに保存しておけば良いかもね、そんで黄忠ってさ〜史実では関羽が黄忠の事おじいちゃんだと思ってるから五虎大将軍に入ることを認めなかったみたいですね、まぁドラマ三国志 Three Kingdoms でも荊州で関羽の驕り高ぶる事を危惧していましたね、それが原因で荊州取られたころから蜀軍がガタ落ちしていきますね、ここは蒼天航路でもドラマ三国志 Three Kingdomsでも一緒だった気がします。呉の将軍、呂蒙が討ち取ったとあるが、蒼天航路では大勢で寄ってたかって関羽を捕まえましたね、馬忠(ばちゅう)あるいは阿幢(あとう)という容姿は人獣とされる、これは多分ある程度の着色はされてると思います。

何より毒矢を打った龐徳もそれを治した華陀とかその後静養すれば良かったのだが、戦ってしまうイケイケの関羽って感じで、そんな話はおいておこう。

問題は何でこの天地を喰らう2赤壁の戦いにおいて五虎大将軍に馬超ではなく魏延がいるのか?ってとこで、赤壁に時点では馬超、黄忠、魏延はいないよな

そんな話はどうでもいい、決定的なのがこれだ

自伝で「原作の演義に縛られるのが 嫌になった」って言ってるらしい。

こればっかりはしょうがない。

ですが、ここで敢えて魏延を選ぶってのも面白いと思いますね

そんな感じで以上で天地を喰らうⅡ赤壁の戦いの疑問でした。