織田裕二 お金がない から学ぶゲームボーイの耐久性

序盤動画の(0:14)少年がゲームボーイ落としてますね、この程度じゃゲームボーイ壊れないからね、任天堂この頃からかゲーム作っておったのだが、今やTwitter のトレンドには転売ヤーという文字が出てくる、これはもうすでに皆さんご存知の通り、転売ヤーは Nintendo SWITCH を買い漁り、ゲーム機を売る側の人はが悲痛な叫びがTwitter上で確認できると思います。いったいどうすれば良いものか?転売ヤーが買えないぐらいNintendo SWITCH を量産させるというシステムはダメか、バブル期のように大量生産っていうのはやはりきついのかもしれないですね、そう考えると昔スーファミの対象は子供だったんだよな、その世代が今Switchを買っているということなのだろう、今やゲームは子供のものでは無くなっている事は当然だが、これと言うのは映画やスポーツと芸術と同等なものと変わって来ていると言っても良いだろう、ここでゲームというカテゴリーが一回全て分解して考えてみると、絵があり、それをドット絵(グラフィック)にし動画にする、この行為はゲームに芸術を入れている事になる、ムービーなんてのは当たり前になり、一本の映画さながらのゲームは存在するし、今や映画と同等の画質で俳優なの?CGなの?って具合だ。それに音楽要素も入っている、芸術というともう一つ音楽鑑賞があるクラシック音楽モーツァルトなんて流れになるが、その要素もドラクエ BGM すぎやまこういちが出て来ますね、今や色々なゲームのBGMがオーケストラバージョンとなり、これは新たな時代のクラシックとなり始めているのではないだろうか?それとお話を作る上で大事な小説のようなシナリオ、物書きの要素まで入っているこの集大成というのはゲームに入ってるならないでしょうか?そしてゲームプログラミングなどAI人工知能との勝負など、正直いって色んなジャンルありすぎてここまでしか思い浮かびませんね、言われれば色々あると思いますがこんなことかな?

ここではゲームにスポットライトを当てていますが絵画、音楽、小説などの既存のジャンルでも色々と素晴らしいものがどんどん生まれているのでそれも楽しみだ。

だがそんな中埋もれた才能がゲームの中に入っていたりするそれはグラフィックであったりBGM であったりする、そういった埋もれた芸術が眠るゲームが存在するのですが、それらを見つけるのは子供だったりする、この流れというのはファミコンやスーパーファミコンをやった時代の子供が、今 YouTube 神曲と言い懐かしんでる曲なのではないだろうかと考えている、最後に綺麗事を言うのだが、ゲームというのは子供が買ってなんぼなもんなので、お金のために転売ヤーである大人が市場に回っているNintendo SWITCH の価格を操作する事は、子供の芸術センスを遅らせることとなり、金でワクワクを消してることとなる、子供の頃聴いたゲーム BGM こそ、楽しい思い出であったり時代を共有することが出来る、今後ネットをやる上で大事な要素なのではないのかと考えるのである。結局真理としては、金に流されるとワクワクは消えるということになる転売ヤーも別のものに専念できたらそれは幸せだろう、人の人生は短いby諸葛孔明

結局ここで何が言いたいのかと言うと人間は死んだ後に世に何を残すかということになる、思想であったり芸術であったり、マイナスの面も存在するがここでは控えておく、という具合に綺麗事を抜かしているがこの記事を書いてるとうの本人は惰眠を貪りがちなそくめんもあるこの頃