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南蛮の籐甲軍
南蛮の話と言うともう一つ気になる部分がある。
それはゲームの三国志Ⅴにも出て来る『籐甲』(とうこう)である。
籐甲とは鎧など武具の事で、藤のつるで編んだ鎧や兜、盾などである。
この藤のつるで編んだもので防具になるのか?と疑問に思うですが、調べるに面白い内容でした。日本で言う漆的なものなのかな?そもそも漆を辿ると仏教伝来で発展したとあるが、中国から来てるのかな?なんて思いましたが、違っていて
日本では縄文時代に複数の遺跡から漆を施した装飾品などが出土していので、日本の技術と言ってもいいだろうと思う、世界最古の約1万2600年前って言うから、そんな前からあるって事は縄文時代が相当な技術集団だと考えており、三内丸山遺跡にある確か6柱ある二階建てだったかな?三階建てだったかの建物もあるし、農耕技術だってあったから、多分歴史の教科書はアトランティス文明の嫌がらせかと冗談とネタまじりの遊び半分で思っています。
漆とは。漆器とは。歴史と現在の姿 | 中川政七商店の読みもの
そもそも普通に考えて1万年をも平和を築ける文明はどんな技術あったとしても、生物目的を一番に果たしているのかも知れない、でも人間は新たなる進化があってこそだと言う考えも理解できるのだが、その判断が遠面において滅亡という判断をしていたのならば本末転倒なのであるが、そんな先の事など誰にもわからんので、結果的に全力で生きるというシンプルな判断しかない。
籐甲の作り方
山中の絶壁に育つ藤の蔓を採ったものを編み、油に半年漬けたのち取り出して陽にさらし、乾くとまた漬ける。これを10回あまり繰り返したものを甲冑にする。
これが藤甲である。
刀も矢も受け付けぬ強靭さがあり、軽量で水にも強く、藤甲を着た兵士は、川も水に浮いて押し渡るという。wikiより
籐甲の弱点
油を含んだ籐の蔓(乾燥させた植物)なので、燃えます。
諸葛孔明は火攻めを考え、谷におびき寄せ、籐甲軍3万人を一人残らず焼きました。
烏戈国の王、兀突骨(ごつとつこつ)配下の戦闘部隊である籐甲軍、その兵を全て焼き殺した諸葛孔明なのですが、その光景を見て顔を覆ったそうだ。
そして孔明はこう言ったようだ
「何と凄惨な事か。私の寿命はこの罪で必ずや長くはないであろう」と嘆いた。
これは確実に寿命が縮んだだろう、谷におびき寄せるって方法は司馬懿にも上方谷(祁山)でもやっていたのでお決まりのコースだったのかな?現実では孔明戦が得意ではなかったという話がある。