この饅頭って言葉の中にも三国志と関係があるって話は既に聞いた事があるとは思いますが、今回その話をざっくりとしていこと思います。
饅頭は諸葛孔明の由来という話がありますが、氾濫した川を鎮めるために、小麦粉をこねて捧げたものです。文字自体を作ったのかわ定かではないが、多分孔明発案なんじゃないか?
お供え物的な感覚なのかな、昔からあるマヤの文明とかにも生贄的なもんだろうと思います。それと、映画天気の子でも人柱の話が出て来ると思います。天気の巫女の話がありましたね、日本でも橋の安寧を祈願し人柱を奉る石碑の話がYouTube 漫画とかで検索すると出て来ると思います。
川などの天災が起こると人間は何かしらの生贄を捧げるという行動をするのですが、これは、古代オリンピックの名残なのか?そもそもオリンピックを始める理由も神に捧げるのもらしいですね、この感覚というのはアジアだけではなく古今東西どこでも似たようなものだろうという認識です。
そして饅頭もの話も、川の神に生贄を捧げれば氾濫を鎮めることが出来るという発想で民の首(蛮人)49人を斬ってお供え物としたという言い伝えが由来だそうです。
饅頭は人間の首として作ったものだったんだろう、昔は【蛮頭(まんとう)】と言って肉まんだそうだ、羊と豚の肉で、甘い饅頭ではないそうだ。
諸葛孔明と饅頭【蛮頭(まんとう)】
このエピソード南蛮平定をした帰りの際に瀘水(ろすい)という川が荒れて渡ることができず足止めを食らう、そして地元の民が言うには川に49個の人間の首をささげれば、氾濫は鎮まると言った話で、それを聞いた孔明は、未だにそんな悪しき風習が残っているのかと言い、人の首の代わりに饅頭を作らせた。小麦粉と肉で人の頭に似た物を作らせて川に投げ入れて祈願し、氾濫は鎮まり、川を渡ることができたと言う話だ。
それだけ諸葛孔明の考え方が近代的だったということだろう
お供えをするという考えと生贄を捧げるというものを一緒にして考えると、かなりの誤解が生まれてくるだろうが、神に何かを捧げるということは変わらない。
結局のところ、その後川の氾濫を鎮めるために饅頭を作って川に投げ入れていたがもったいないのでお供え物を食べる方式へと変わり、日本へと伝わったそうだ。
食物を意味する「饅」そしてお供え物とする「頭」で饅頭という言葉ができたのだろうと思います。
その後室町時代に中国の僧侶・林浄因によって日本に伝わった饅頭だそうだ。
そこから色々と進化して現在とまんじゅうが出来上がったと考えられる。