陶濬(とうしゅん)
陶 濬(とう しゅん、生没年不詳)呉将。
天紀3年(279年)夏、郭馬が広州で叛乱を起こした。
郭馬は都督交広二州諸軍事・安南将軍を自称し、広州刺史と南海太守を勝手に任命した上で、さらに蒼梧郡・始興郡へ侵攻してきた。
同年8月、滕脩が1万の兵士を率いて慌ただしく追討に赴いたが、始興で抵抗を受け先に進めなくなった。このため、徐陵督であった陶濬が7000人を率いて、兄と協力して援軍に赴くことになった。
同年冬、晋が大軍を動員して呉に侵攻してきた。陶濬は交州への援軍に向かっている最中、武昌において晋の侵攻を聞いたため、広州には向かわなかった。
翌天紀4年(280年)、呉軍が各地で敗北を重ねる中、陶濬は武昌より建業へと帰還し、孫晧に謁見した。
陶濬は「益州方面から侵攻してきた晋の船は小さいものばかりであり、大船と2万の兵があれば撃退可能です」と上奏して許され、節と鉞を与えられた。
陶濬が敗残の軍を一つにまとめて晋軍を迎え撃とうとしたが、一夜のうちに兵が怯え逃げてしまった。
この一件で孫晧は完全に戦意を喪失し、降伏する事となった。
呉における最終官位は、鎮南大将軍・荊州牧までになったという。
2人の子はそれぞれ晋で官職につき、名声を得たという。wiki…
陶濬の統率がとれなかったのか?と思うがそれは違うと思います。
この頃、既に蜀は滅亡しています。wikiで呉の滅亡 (三国)と検索すれば軽い地図が見れると思います。
こんな感じです。陶濬は戦闘やる気あっても、兵からすれば、圧倒された敵の量
陸遜が蜀を撃退したように夷陵の戦いように上手く行かないだろう。
負けが目に見えている状態である。
兵が逃亡したりするのも無理はない。
覚える特殊能力
【火計・混乱・同討・鼓舞・水計・火矢】
陣形
【鋒矢の陣】(ほうし)
山岳型戦闘で『突撃』が実行可能で攻撃的陣、山や森林の地形では機動力がるだが、防御には弱い、だが研究で新兵器『戦車』を開発すれば少しは弱点を補える。
新兵器『戦車』を開発・【無】
攻撃力・A 防御力・D 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・A 射程2
新兵器『戦車』を開発・【有】
攻撃力・A 防御力・B 弓攻撃力・D 弓防御力・C 機動力・A 射程2
【水陣】(すいじん)
水上型唯一の水上専用陣形。陸上では防御力が激減するので役に立たないが水上では無敵の陣形に変身する。新兵器の『楼船』(ろうせん)があれば攻撃・防御・弓防御が上がる。
新兵器『楼船』を開発・【無】
攻撃力・B 防御力・B 弓攻撃力・C 弓防御力・B 機動力・A 射程2
新兵器『楼船』を開発・【有】
攻撃力・A 防御力・A 弓攻撃力・C 弓防御力・A 機動力・A 射程2
その他の陣形
武将パラメーター
武力【武】62 知力【知】40 魅力【魅】44 政治【政】34
※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。
経験値31150・勇名0