夏侯玄(かこうげん)
夏侯 玄(かこう げん、209年 – 254年)
父は夏侯尚。同母妹は夏侯徽(司馬師の前妻)(夏侯玄の妹・夏侯徽)。従兄弟は曹爽。
司馬師のライバル(ピクシブ百科事典)
内容はピクシブ百科事典を見た方が分かりやすいと思います。
イケメン説もある。(孫盛『雜語』)
夏侯玄・李勝・鄧颺・諸葛誕ら当時の名士は、互いに称号を付け合っていた。夏侯玄も「四聡」の1人に数えられた。しかし曹叡は、これを軽薄な評判を持て囃す風潮として嫌い、彼らを免職にしたという。
当時、曹爽の側近であった何晏と並ぶ評判を有していた。夏侯玄は何晏・司馬師とも交際し、何晏から司馬師と同じ優れた人物であると評価された(『魏氏春秋』)
司馬懿がクーデターで曹爽が処刑される。
その後、司馬懿が死去すると友人の許允が安心したが、夏侯玄は「あなたはなんて見通しが利かないんだ。あの人(司馬懿)は今回このようなことがあったというのに、私を以前から付き合いのある家の後輩として遇してくれた。しかし、子元(司馬師)・子上(司馬昭)が私たちに対して遠慮すると思うか」と述べ、許允の見通しの甘さを予測した(『魏略』)。
夏侯玄は李豊らとともに大逆罪に問われ、刑法により腰斬に処され、また三族皆殺しとなった。46歳であった。斬刑の場に臨んでも、夏侯玄は顔色一つ変えず、堂々とした様子だったという。
そして、夏侯玄の友人だった毌丘倹・諸葛誕は、反乱を起こすことになる。
夏侯玄は学者としても秀でており、「楽毅論」・「張良論」・「本無肉刑論」を著した。その文章は筋が通っており、世間に広く伝わったという(『魏氏春秋』)。とくに「楽毅論」は「書聖」王羲之が書写したことで有名である。小説『三国志演義』にも登場する。李豊らとともに司馬師の誅殺を企てるが発覚し、司馬師を罵倒しながら処刑されている。wikiより
覚える特殊能力
【同討・収拾・消火・落石・激励・沈着】
陣形
【方円の陣】(ほうえんの陣)
平地型の陣形防御に徹した陣形。どの方向から攻撃をされても防御が変わらないため、包囲されても不利にはならない。攻撃力は低いが『発石車』があれば弓攻撃力が飛躍的に上がる。
発石車 【無】
攻撃力・D 防御力・A 弓攻撃力・D 弓防御力・A 機動力・D 射程3
発石車 【有】
攻撃力・D 防御力・A 弓攻撃力・A 弓防御力・A 機動力・D 射程3
【雁行の陣】(がんこうのじん)
平地型弓での攻撃に特化した陣形。弓攻撃・弓防御は各陣形中最高、射程も長い。敵と接しての攻撃力は最低なので、味方部隊の後ろから援護射撃が適している。
関連兵器なし
攻撃力・D 防御力・B 弓攻撃力・A 弓防御力・A 機動力・B 射程3
その他の陣形
武将パラメーター
武力【武】26 知力【知】73 魅力【魅】73 政治【政】91
※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。
経験値50181・勇名2607