蒋済(しょうさい)
蔣 済(しょう さい、? – 嘉平元年(249年))主君 【曹操→曹丕→曹叡→曹芳】
『三国志』に「蔣済伝」がある。
建安24年(219年)に関羽が樊城と襄陽を包囲し、援軍の于禁が水没して関羽に降伏すると、曹操は関羽が許都に近いことを恐れて遷都(都を替えること)しようとした。
蔣済は司馬懿と共に反対し、
「于禁らは洪水のせいで没したのであり、戦いに失敗したわけではないので、国家の大計を損なうものではありません。孫権に長江以南の領有権を合法的に認め、関羽の背後を衝かせれば関羽は撤退するでしょう」
と進言した。曹操がその提案を受け入れ実行させると、孫権は荊州に攻め込み、関羽を捕らえ斬った。
曹芳(斉王)の時代には領軍将軍・昌領亭侯となり、太尉にまで昇進した。
祭祀をめぐり高堂隆と議論する一方、専権を握る曹爽一派を憎んでいたという。
嘉平元年(249年)、司馬懿が曹爽に対してクーデターを起こした時、司馬懿に協力し、助命を条件として曹爽を降伏させることに成功した。
しかし、司馬懿が曹爽一派を殺そうとしたので「曹真(曹爽の父)の勲功を祀る者を絶やしてはなりません」と諫めたが、容れられなかったという。曹爽らを誅滅し、戦功として都郷侯の位と、七百戸の加増を与えられた。この恩賞について、曹爽一族誅滅の手柄は無いと主張し、固く固辞したが、許されなかった。
『世語』によれば、蔣済は曹爽に対し「殺されることはない」と投降を促していたことから、曹爽が司馬懿に殺されると、曹爽を裏切ってしまったことを気に病み、同年の内に間もなく死去したという。
蔣済は「硬骨漢」と呼ばれ、晩年の明帝に「蔣済がいなければ、こういう話は聞けない」と言わせたほどの性格であり、人物眼にも優れており鍾会の優れた才能をいち早く見抜いている。
著述もよく書き、『万機論』・『三州論』などの作品を多数著した。
一方で大の酒好きで、酒に酔っては乱暴したり、面会を求めた者を体よく追い返すなどの一面があったため、人から恨まれ、人望に乏しかったという。
その中で、時苗という人物とのこんな話がある。
蔣済が揚州の補佐官だったとき、寿春県令であった時苗が会いに来た。普通名士が来れば約束がなくても会うのが当時の礼儀であったが、この時蔣済は泥酔していて面会できる状態ではなかったので、時苗を門前払いにしてしまった。
激怒した時苗は帰宅すると、その日から木で作った人形に「酒徒蔣済(酒飲み蔣済という意味)」と書き記し、それを土塀の下に置いて、朝夕公然と弓で射るのを日課とした。
このような行為をされた蔣済ではあるが、別段気にしなかったという(常林伝が引く『魏略』清介伝より)。
蔣済は同世代の司馬懿と親友の仲にあり、正史にも彼と司馬懿の会話が記載されているものが少なくない。
曹爽の下に桓範が逃亡した際は「曹爽には桓範を用いることができないだろう」と言い、結局その通りになった(曹爽伝が引く『晋書』より)。
また、王淩の子である王広の才能を司馬懿の前で賞賛し、後に王淩の一門を滅ぼすことになるのではないかと、後悔した話もある(王淩伝が引く『魏氏春秋』より)。wikiより
思う事は主君 【曹操 → 曹丕 → 曹叡 → 曹芳】とどんだけ長生きしてんの?と疑問に思う部分もあるが司馬懿と共に長生きだった蒋済だが、正始8年(247年)5月には、70歳近い高齢だった司馬懿なので、同世代の蒋済も同じ年齢だと思われる。
その後、正始10年(249年)1月6日、曹爽が曹芳の供をして曹叡の墓参りに行くため洛陽を留守にした機会を見計らって、司馬懿はクーデターを起こす。wikiより
丁度この249年に蒋済は亡くなっている。
もう一つ大事な点は魏は【 曹丕 → 曹叡 → 曹芳】
曹丕から短命だったからね、ドラマ三国志スリーキングダムスの中で曹丕と曹叡は後半会うたんびに血を吐いていたような気がします。
曹丕
曹丕(そうひ、186年/187年 – 226年)39、40歳だろう。
曹叡
曹叡は239年1月1日36歳で死去
昔の人の年齢は数え年でカウントするそうだ。
数え年というのは、生まれた時から1歳として年齢を数える。
陳寿の記述によれば曹叡は204年に生まれたそうだ。
だがこの記述には間違いがあると裴松之は解釈している。
曹叡の父は袁譚だったという話もあるが、曹丕のという話の方が良いのかも知れない。
(曹丕と曹叡の親子関係は悪かった。)
曹芳
曹 芳(そう ほう)
泰始10年(274年)に43歳で死去した。
先代の曹叡の子が相次いで夭折したために、親族の秦王曹詢と曹芳の兄弟を養子に迎えて、皇太子候補として養育していた。だが、その経歴ははっきりと判明していないが父が曹 楷(そう かい、生没年不詳)で曹彰の子。
昔だからこれぐらいの寿命なのだろうと思いがちなのだが、もしかすると近親交配も考えられる時代でもある。
例として
フェリペ4世にやっと授かった息子のカルロス2世は性的不能。フェリペ4世はカルロス2世に落胆する。カルロス2世は、王を見た者はみんな不安になった、常時よだれを垂らしていた、知能が低い、などさんざんな言われ方をしている。カルロス2世は39歳で亡くなり、スペイン・ハプスブルク家は断絶する。Amazonレビューより引用
結果、孫氏の兵法で武田信玄、徳川家康と受け継がれ、
「織田がつき羽柴がこねし天下餅すわりしままに食うは徳川」となる。
やることやって長生きするっていうのが歴史からみても必勝法なんだろう…
覚える特殊能力
【火計・混乱・同討・収拾・消火・沈着】
陣形
【偃月の陣】(えんげつ)
平地型の陣形クリティカルヒット(攻撃力が2倍)発生確率が上がる陣形で、クリティカルヒットは武将の勇名な高いほど発生しやすく、勇名が高い武将にこの陣形を使わせると効果的。
関連兵器はなし
攻撃力・B 防御力・B 弓攻撃力・C 弓防御力・C 機動力・D 射程2
【鋒矢の陣】(ほうし)
山岳型戦闘で『突撃』が実行可能で攻撃的陣、山や森林の地形では機動力がるだが、防御には弱い、だが研究で新兵器『戦車』を開発すれば少しは弱点を補える。
新兵器『戦車』を開発・【無】の場合。
攻撃力・A 防御力・D 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・A 射程2
新兵器『戦車』を開発・【有】の場合。
攻撃力・A 防御力・B 弓攻撃力・D 弓防御力・C 機動力・A 射程2
【方円の陣】(ほうえんの陣)
平地型の陣形防御に徹した陣形。どの方向から攻撃をされても防御が変わらないため、包囲されても不利にはならない。攻撃力は低いが『発石車』があれば弓攻撃力が飛躍的に上がる。
発石車 【無】
攻撃力・D 防御力・A 弓攻撃力・D 弓防御力・A 機動力・D 射程3
発石車 【有】
攻撃力・D 防御力・A 弓攻撃力・A 弓防御力・A 機動力・D 射程3
その他の陣形
武将パラメーター
武力【武】30 知力【知】87 魅力【魅】50 政治【政】71
※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。
経験値34815・勇名2597