三国志5 武将 郤正

郤正(げきせい)

三国志5 武将 郤正

郤 正(げき せい、? – 278年)

西晋の学者・政治家。字は令先。元の名を纂。祖父は後漢の益州刺史で、馬相の乱によって落命した郤倹。父は郤揖。

父の郤揖は孟達とともに魏に降伏して中書令史となったが、郤正が幼い頃に亡くなり、母も再婚したため一人で生計を立てていた。

暮らしは貧しかったが学問を好み、広く書物を読み漁ったので若くして名文家となった。蜀漢に出仕して秘書吏となり、昇進を重ねて最終的に秘書令に至った。

郤正は黄皓の屋敷の隣に30年間も住んでいたが、特に気に入られも嫌われもしなかった。そのため、秩は六百石を越えることはなかったが、官職を追われるようなこともなかった。

263年、劉禅が魏に降伏する際には降伏文書を書いた。

劉禅が洛陽に移送されることが決まると妻子を捨てて付き従い、関内侯に封じられた。劉禅は郤正の補佐によって落ち度なく振る舞うことができたので、

「郤正を評価するのが遅かった」と後悔したという。

安陽県令・巴西太守と出世を重ね、278年に死去した。

 

名利にこだわらず文章の美を追求し、司馬相如・班固・張衡らの文・篇・賦や同時代の優れた論など、益州にあるものにはほとんど目を通していた。

100篇にも及ぶ詩・論・賦を書き、姜維を高く評価した論文や、『釈譏』という自身への批判に対する弁明文が残っている。

秘書郎であった頃、郤正はたびたび孟光を訪ねて教えを乞うていた。

あるとき孟光が郤正に皇太子劉璿の性格や能力を訊ねると、郤正は慎重な受け答えに終始した。

孟光はこれを評価したものの、皇太子のあるべき姿を論じて郤正を感心させた。

 

降伏後、劉禅は司馬昭に「ときには蜀のことを思い出されますかな?」と問われると「ここは楽しいので思い出すことはありません」と答えた。

郤正はこれを聞き「次に同じ質問をされたならば『先祖の墓が遠く隴・蜀にあり、一日とて思わない日はありません』とお答えなさいませ」と進言した。劉禅が進言に従ったところ、司馬昭にそれを見抜かれて物笑いになった。wikiより

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覚える特殊能力 

三国志5 武将 郤正

【火計・鼓舞・消化・落石・激励・沈着】

陣形

【長蛇の陣】(ちょうだ)

山岳型山林で驚異的な機動力を発揮する陣形。防御力・攻撃力はさほどではないので、遠くの敵に接近するのに使うと良い。新兵器である『筒袖鎧』で防御力と弓防御力を高められる。『筒袖鎧』(とうしゅうがい、つつそでよろい)は、中国の甲冑・鎧の形式の一つ。古代中期に用いられた。

 新兵器『筒袖鎧』を開発・【無】

攻撃力・C 防御力・C 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・S 射程2 

新兵器『筒袖鎧』を開発・【有】

攻撃力・C 防御力・B 弓攻撃力・D 弓防御力・B 機動力・S 射程2 

 

【方円の陣】(ほうえんの陣)

平地型の陣形防御に徹した陣形。どの方向から攻撃をされても防御が変わらないため、包囲されても不利にはならない。攻撃力は低いが『発石車』があれば弓攻撃力が飛躍的に上がる。 

発石車  【無】 

攻撃力・D 防御力・A 弓攻撃力・D 弓防御力・A 機動力・D 射程3 

発石車  【有】 

攻撃力・D 防御力・A 弓攻撃力・A 弓防御力・A 機動力・D 射程3

その他の陣形

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武将パラメーター

三国志5 武将 郤正

武力【武】22 知力【知】77 魅力【魅】71 政治【政】58

 

※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。

 

経験値12009・勇名200