廖化(りょうか)
廖 化(りょう か、? – 264年)
関羽に主簿として仕えた。関羽が孫権軍の呂蒙に敗れると呉に属したが、 劉備の下に戻ろうと考え、そこで自分が死んだという噂を流し、母を連れて脱走した。
秭帰において呉へ進軍途中の劉備と出会った。
喜んだ劉備から宜都太守に任命された。
劉備が崩御すると諸葛亮の参軍となる。
人々は「前に王平・句扶あり、後に張翼・廖化あり」と語り合った。
諸葛瞻が朝政を統括するようになると、廖化は宗預の屋敷を訪ね、諸葛瞻に挨拶をしようと誘ったが「我らが七十歳を過ぎて望むことは、一日でも死を遅らせることのみ。
年少の輩に何を望み、せこせこと訪問せねばならんのだ」と断られている。
262年、姜維が軍勢を率いて狄道に進出した際、廖化は「戦いを止めなければ必ず我が身を焼く(『左伝』)、とは伯約(姜維)のことだ。
智略は敵に勝っておらず、武勇も賊に劣っているのだから、北伐を続けたとしても、どうして成功しようか。
『詩経』の言う我より先んじず我より後れず、とは正に今日のことだ」と姜維を批判した。
263年、魏が蜀を攻めた際、姜維・張翼とともに剣閣を守備し鍾会軍に抵抗したが、先に成都が陥落したため降伏した(蜀漢の滅亡)。
264年、洛陽に連行される途上で病死した[1]。宗預との会話を見るに、没年齢は70歳代だったようである。
小説『三国志演義』では黄巾賊の残党ながら、仲間の杜遠が拉致してきた劉備の妻妾に無礼を働いたため、 首を斬って関羽に差し出す。
その際、賊出身の人物を家来にすることを嫌った関羽に拒絶されている。wikiより
覚える特殊能力
【火計・消化・伏兵・速攻・遠矢・強行】
陣形
【箕形の陣】(きけいのじん)
平地型の陣形平地向きの陣形。攻撃を受けた時に敵の損害を負傷だけにとどめ、脂肪率を下げることができる。城の上など、回復が可能な場所に陣取ると効果的で、どちらかといえば射撃戦向き。
関連兵器なし
攻撃力・C 防御力・B 弓攻撃力・B 弓防御力・B 機動力・D 射程2
【長蛇の陣】(ちょうだ)
山岳型山林で驚異的な機動力を発揮する陣形。防御力・攻撃力はさほどではないので、遠くの敵に接近するのに使うと良い。新兵器である『筒袖鎧』で防御力と弓防御力を高められる。『筒袖鎧』(とうしゅうがい、つつそでよろい)は、中国の甲冑・鎧の形式の一つ。古代中期に用いられた。
新兵器『筒袖鎧』を開発・【無】
攻撃力・C 防御力・C 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・S 射程2
新兵器『筒袖鎧』を開発・【有】
攻撃力・C 防御力・B 弓攻撃力・D 弓防御力・B 機動力・S 射程2
その他の陣形
武将パラメーター
武力【武】69 知力【知】66 魅力【魅】68 政治【政】50
※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。
経験値49000・勇名6760