三国志5 武将 顧雍

顧雍(こよう)

三国志5 武将 顧雍顧 雍(こ よう、168年 – 243年)

蔡邕が呉郡に来た時、その下で琴と学問の伝授を受けた。

心を集中させ乱されることがなく、頭の回転が速かったため、蔡邕にその非凡さを気に入られ、将来大成するだろうとの評価を受け、その名と同じ読みの「雍」の文字を授かったという説がある(『江表伝』)。

また、蔡邕も驚く程の人物と言うことで「歎(驚くの意)」を字に使ったという(『呉録』)。州と郡の役所から推挙を受け、20歳ぐらいで合肥県長に就任した。

 

赤烏6年(243年)、丞相在任のまま病死。76歳であった。

死の直前、孫権は医師の趙泉を派遣し顧雍を診察させた後、末子の顧済を騎都尉に任命した。このことを聞いた顧雍は、趙泉が患者の死期を診断するのに巧みな人物であったため、自分の死期が近いことを知り、孫権に対し「私が生きているうちに、顧済を採り立ててくれたのであろう」と悲しみながら語ったという。

顧雍は酒を飲まず寡黙な人柄であり、行ないも時宜を得たものであった。

小説『三国志演義』では、張紘の推挙で孫権に仕えている。赤壁の戦いでは開戦に反対する降伏派の群臣の一人として登場し、張昭・張紘・歩騭とともに周瑜に対し曹操への降伏を説く。その後も孫権の参謀の1人として、何度か助言している。孫権が即位すると丞相になっている。wikiより

覚える特殊能力

三国志5 武将 顧雍【収拾・鼓舞・消火・激励・水計・沈着】

陣形

【魚鱗の陣】

平地型平地形で「突撃」を実行できる陣形。攻撃力は全陣形中で最も最高。しかし、防御力・弓防御力は最低で、ある程度の損害を覚悟の上でとにかく早く敵を倒したい時に使う陣形。 

関連兵器なし

攻撃力・A 防御力・D 弓攻撃力・C 弓防御力・D 機動力・A 射程2

 

【鋒矢の陣】(ほうし)

山岳型戦闘で『突撃』が実行可能で攻撃的陣、山や森林の地形では機動力がるだが、防御には弱い、だが研究で新兵器『戦車』を開発すれば少しは弱点を補える。  

新兵器『戦車』を開発・【無】

攻撃力・A 防御力・D 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・A 射程2  

新兵器『戦車』を開発・【有】

攻撃力・A 防御力・B 弓攻撃力・D 弓防御力・C 機動力・A 射程2

 

その他の陣形

www.opio8.com

武将パラメーター

三国志5 武将 顧雍武力【武】11 知力【知】71 魅力【魅】80 政治【政】78

 

※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。

 

経験値60000・勇名1040

三國志V with パワーアップキット|オンラインコード版