陳矯(ちんきょう)
陳 矯(ちん きょう、? – 237年)
性格は誠実で実直。政治手腕に優れ、主君に対しても、間違いがあれば諌めるほど、豪胆な一面があった。
戦乱を避けて一時江東に避難していた。
袁術や孫策の招聘を受けたがこれを拒絶し故郷に帰り、太守陳登の招聘に応じた(徐宣伝によると、徐宣と共に郡の綱紀になったとあるが、二人とも不仲であった)。
陳登には許との連絡役を任されるなど厚遇され、友人同様の付き合いをした(このころに薛悌とも交流したとある)。
江東の孫権が北上し陳登を攻撃した際は、曹操に弁舌を尽くして援軍を求めた。
感心した曹操は陳矯に家臣となるよう求めたが、陳登が窮地にあることを理由にこれを拒絶されている。
曹操の援軍を受けた陳登は撤退する孫権軍を追撃し、これを大いに破った。
237年死去した。
小説『三国志演義』においては、曹仁の参謀として登場する。
赤壁の戦いの後、荊州南郡に侵攻した孫権軍の周瑜の侵攻を守備している。
曹操に授けられた秘策を用い、周瑜に毒矢を浴びせるなど苦戦させるが、同じく荊州制覇を狙う劉備軍の諸葛亮に捕虜とされ、印璽を取り上げられた上で、その調略に利用されている。wikiより
覚える特殊能力
【火計・混乱・収拾・鼓舞・消火・激励】
陣形
【魚鱗の陣】
平地型平地形で「突撃」を実行できる陣形。攻撃力は全陣形中で最も最高。しかし、防御力・弓防御力は最低で、ある程度の損害を覚悟の上でとにかく早く敵を倒したい時に使う陣形。
関連兵器なし
攻撃力・A 防御力・D 弓攻撃力・C 弓防御力・D 機動力・A 射程2
【衡軛の陣】(こうやく)
山岳型山や森林で高い防御力を誇る陣形。横からの攻撃に対しても防御力が落ちないので、高山など、進入不可能な地形を背に戦えば、敵に囲まれてもかなりの間持ちこたえることができる。
関連兵器なし
攻撃力・D 防御力・B 弓攻撃力・B 弓防御力・B 機動力・D 射程2
その他の陣形
武将パラメーター
武力【武】21 知力【知】68 魅力【魅】70 政治【政】74
※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。
経験値51000・勇名2010