孫峻(そんしゅん)
孫 峻(そん しゅん、216年 – 256年)
父は呉に仕え、散騎常侍にまでなっている。孫峻は馬術・弓術に巧みで、思い切りが良かったという。
孫権時代の末期に武衛都尉から侍中となった。
孫権は二宮事件の際、孫和と孫覇の争いに決着をつけようと、孫和の廃位を臣下に相談した。
このとき、孫峻はその相談相手となった。孫権は孫和を廃位し末子の孫亮を立てた。
後に孫権の病が重くなり、争いの真相に気づいて孫和を許そうとしたときは、孫弘や全公主(孫魯班)と共にこれを阻止したという。
孫権臨終の際には、孫権に対し諸葛恪を自らの補佐役にするよう、強く推薦した。
孫峻は武衛将軍・侍中・都郷侯となり、政務一般の輔弼を孫権から委ねられた。
孫権の死後、まもなく孫弘が諸葛恪の暗殺を謀ると、孫峻はそのことを諸葛恪に知らせ、共に孫弘を殺害した。
孫亮が即位すると、諸葛恪・滕胤と共に協力して政治を行なった。
しかし諸葛恪は、魏への遠征を強行し敗戦すると、権力的な不安から次第に独裁色を強め、近衛軍の人事などをめぐり孫峻らと対立した。
そこで孫峻は、孫亮を抱き込み、諸葛恪を宴会に呼び寄せた上で、勅命と称して自ら斬殺した。
孫峻は宴席の場で、諸葛恪の側近の張約の右腕を自ら剣をふるって斬り落とし、騒ぎを聞きつけた衛兵が来ると、諸葛恪を殺害したことを告げて衛兵を下がらせ、床を掃除させるとそのまま宴会を継続したという。
また、騎督の劉承に命じて、逃亡した諸葛恪の一族や張震・常侍の朱恩などそれに連なる人達を追撃させ、ことごとく殺害した。
さらに、孫和をも諸葛恪と謀って復権を目指していたとして、印綬を没収し新都に強制移住させた上で自殺を命じた。
諸葛恪と親しかった聶友を疎んじ、鬱林太守へ左遷することを企て、聶友を憂死させた。
孫峻はまもなく、諸葛恪に殴られる夢を見たため、それに恐れ病に倒れ、そのまま同年のうちに病死した。39歳であった。
小説『三国志演義』でも、諸葛恪が暗殺される場面で、その首謀者として登場する。wikiより
覚える特殊能力
【火計・鼓舞・消火・水計・速攻・強行】
陣形
【衡軛の陣】(こうやく)
山岳型山や森林で高い防御力を誇る陣形。横からの攻撃に対しても防御力が落ちないので、高山など、進入不可能な地形を背に戦えば、敵に囲まれてもかなりの間持ちこたえることができる。
関連兵器なし
攻撃力・D 防御力・B 弓攻撃力・B 弓防御力・B 機動力・D 射程2
【水陣】(すいじん)
水上型唯一の水上専用陣形。陸上では防御力が激減するので役に立たないが水上では無敵の陣形に変身する。新兵器の『楼船』(ろうせん)があれば攻撃・防御・弓防御が上がる。
新兵器『楼船』を開発・【無】
攻撃力・B 防御力・B 弓攻撃力・C 弓防御力・B 機動力・A 射程2
新兵器『楼船』を開発・【有】
攻撃力・A 防御力・A 弓攻撃力・C 弓防御力・A 機動力・A 射程2
その他の陣形
武将パラメーター
武力【武】70 知力【知】50 魅力【魅】35 政治【政】53
※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。
経験値13851・勇名2726