三国志5 武将 董允

董允(とういん)

三国志5 武将 董允董 允(とう いん、? – 246年)

章武元年(221年)、劉備が皇帝に即位して劉禅を皇太子に立てると、その側近(太子舎

人、次いで太子洗馬)として抜擢された。

建興元年(223年)、劉禅の即位後は黄門侍郎に任じられた。

費禕は北伐の随員となり、また郭攸之も大人しい性格であったため、諫言するのは専ら董允の役割となった。

劉禅は常々、美人を選び後宮を満たしたいと望んでいたが、董允は「古代にあっては、天子の后妃の数は十二人に過ぎません。今、宮女は既に揃っているので、増やすのは適当ではありません」と主張し、あくまで承知しなかった。

このため、劉禅はさらに董允を憚るようになった。

建興13年(235年)、蔣琬は益州刺史に任命されると費禕・董允にその地位を譲ろうとしたが、董允はこれを固辞した。

劉禅は成長するに従い、黄皓を寵愛するようになったが、董允から厳しく諌められている。

このため、董允存命中において黄皓は黄門丞の地位に留まり、悪事を働くことはできなかった。

延熙9年(246年)に死去した。

董允の没後、劉禅を諫め黄皓の専横を防ぐ人物は現れず、劉禅は亡くなった董允を日に日に疎ましく思うようになった。

後に黄皓は政治を壟断して国を滅ぼすに至ったため、蜀の人々で董允を追慕しない者はいなかったという。

蜀の人々は諸葛亮・費禕・蔣琬・董允を、「四英」または「四相」と呼んだ。

『三国志』蜀書に独立した伝がある。

wikiより

覚える特殊能力

三国志5 武将 董允【混乱・収拾・鼓舞・消火・落石・沈着】

陣形

【衡軛の陣】(こうやく)

山岳型山や森林で高い防御力を誇る陣形。横からの攻撃に対しても防御力が落ちないので、高山など、進入不可能な地形を背に戦えば、敵に囲まれてもかなりの間持ちこたえることができる。 

関連兵器なし

攻撃力・D 防御力・B 弓攻撃力・B 弓防御力・B 機動力・D 射程2

 

【方円の陣】(ほうえんの陣)

平地型の陣形防御に徹した陣形。どの方向から攻撃をされても防御が変わらないため、包囲されても不利にはならない。攻撃力は低いが『発石車』があれば弓攻撃力が飛躍的に上がる。 

発石車  【無】 

攻撃力・D 防御力・A 弓攻撃力・D 弓防御力・A 機動力・D 射程3 

発石車  【有】 

攻撃力・D 防御力・A 弓攻撃力・A 弓防御力・A 機動力・D 射程3

 

その他の陣形

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武将パラメーター

三国志5 武将 董允武力【武】20 知力【知】84 魅力【魅】70 政治【政】90

 

※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。

 

経験値51404・勇名1670

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