三国志5 武将 滕胤

滕胤(とういん)

三国志5 武将 滕胤滕 胤(とう いん)【? – 256年】

諸葛恪が魏の討伐を行なおうとすると、これに反対したが聞き入られず、留守役として都下督に任じられ、職務に励んだ。その後、予想通り諸葛恪率いる呉軍は大敗を喫した。やがて、諸葛恪の専横に憤った孫亮や孫峻らが暗殺計画を企み、諸葛恪を斬殺し、その一族をことごとく滅ぼした。

滕胤は諸葛竦の妻の父であったため辞職を願い出たが、孫峻に拒絶された。

孫峻との関係は良好ではなかったが、表面的にはお互いに相手のことを立てるようにしたため、政治に混乱は生じなかった。また、爵位も高密侯に進んだ。

孫峻は幾度か北上して魏を討つことを計画した。しかし五鳳3年(256年)、滕胤や従者を引き連れ石頭の陣で諸将を見送る宴会を催した時、呂拠の陣で体調を崩し、そのまま急死した。

 

孫峻の死後、孫綝が侍中・武衛将軍に任命され、権力を継承した。

呂拠はこの人事に不満を持ち、諸将と連名で滕胤を丞相とするよう上奏した。

一方の孫綝は、滕胤を大司馬として武昌に駐屯させ、中央から遠ざけようとした。

呂拠は滕胤に手紙を送り、共に挙兵して孫綝を討とうと持ちかけた。

この呂拠の動きを察知した孫綝は、呂拠を従兄の孫憲達に攻撃させる一方で、滕胤の元には侍中・左将軍である華融と中書丞の丁晏を送り、呂拠を捕縛することと、そのまま武昌に赴くことを伝えさせた。

滕胤は自身にも危機が迫っていることを察知し、華融達を軟禁した。

また、兵士を集め孫綝を討つことに決め、華融達を脅迫して孫綝批判の手紙を書かせた。

孫綝は将軍の劉丞に命令させ、滕胤を攻撃した。

滕胤は華融達が言うことを聞かないため殺害した。

滕胤は、このような事態に至っても動じる様子がなく、人と談笑するときはいつも通りであった。

滕胤は呂拠の来援を信じ防御を続けていたが、結局呂拠軍が現れることはなく、孫綝の派遣した大軍の前に敗北し、捕らえられ一族皆殺しとされた。

 

小説『三国志演義』では、諸葛恪と仲が悪かった設定になっており、孫峻のクーデターにも積極的に関与している。wikiより

覚える特殊能力

三国志5 武将 滕胤

【火計・収拾・消火・激励・水計・速攻】

陣形

【長蛇の陣】(ちょうだ)

山岳型山林で驚異的な機動力を発揮する陣形。防御力・攻撃力はさほどではないので、遠くの敵に接近するのに使うと良い。新兵器である『筒袖鎧』で防御力と弓防御力を高められる。『筒袖鎧』(とうしゅうがい、つつそでよろい)は、中国の甲冑・鎧の形式の一つ。古代中期に用いられた。

新兵器『筒袖鎧』を開発・【無】

攻撃力・C 防御力・C 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・S 射程2

新兵器『筒袖鎧』を開発・【有】

攻撃力・C 防御力・B 弓攻撃力・D 弓防御力・B 機動力・S 射程2

 

【水陣】(すいじん)

水上型唯一の水上専用陣形。陸上では防御力が激減するので役に立たないが水上では無敵の陣形に変身する。新兵器の『楼船』(ろうせん)があれば攻撃・防御・弓防御が上がる。

新兵器『楼船』を開発・【無】

攻撃力・B 防御力・B 弓攻撃力・C 弓防御力・B 機動力・A 射程2

新兵器『楼船』を開発・【有】

攻撃力・A 防御力・A 弓攻撃力・C 弓防御力・A 機動力・A 射程2

 

その他の陣形

 

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武将パラメーター

三国志5 武将 滕胤

武力【武】21 知力【知】67 魅力【魅】63 政治【政】76

 

※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。

 

経験値32013・勇名630