三国志5 武将 朱桓

朱桓(しゅかん)

三国志5 武将 朱桓朱 桓(しゅ かん、177年 – 238年)

孫権が将軍となったとき、その幕府の側仕えとしてとりたてられた。のち、余姚県令となった。県において疫病と飢饉が蔓延し、食品の物価も高騰していたため、有能な役人を選抜して民の病気の治療や施しを行ったため、士や民の信望を集めた。

 

濡須城の防備では、朱桓は「戦というものは兵力ではなく指揮官の質によって勝敗が決まるものだ。俺と曹丕では俺の方が遥かに優れているし、まして曹丕の部将の曹仁など問題にならない。それに曹仁の軍は遠征で疲弊しているし、地の利を得ているのはこちらの方だ」などと言って兵を叱咤激励した。

 

赤烏元年(238年)、62歳で病死した。朱桓が死去したとき、配下の兵士の多くが嘆き悲しんだと言われている。

 

小説『三国志演義』では、呉の若手の武将の一人として登場する(27歳としているが、正史の生年とは異なる)。

孫策の死後、孫権に招かれた。

夷陵の戦いの隙を付いて魏が呉に侵攻してきたときに、濡須口の戦いで曹仁らに大勝した。石亭の戦いでは全琮と共に陸遜軍の左右都督となり、曹休軍に大勝して張普を討ち取った。wikiより

覚える特殊能力

三国志5 武将 朱桓【火計・同討・水計・沈着・水神・反計】

陣形

【鶴翼の陣】(かくよく)

平地型唯一『一斉攻撃』が実行できる陣形。一斉攻撃は非常に強力なので城にこもった敵を複数の味方部隊で包囲したとき使える。弓の攻撃力は高いので射撃戦には有利。

関連兵器なし

攻撃力・C 防御力・B 弓攻撃力・A 弓防御力・D 機動力・C 射程2

 

【鋒矢の陣】(ほうし)

山岳型戦闘で『突撃』が実行可能で攻撃的陣、山や森林の地形では機動力がるだが、防御には弱い、だが研究で新兵器『戦車』を開発すれば少しは弱点を補える。  

新兵器『戦車』を開発・【無】

攻撃力・A 防御力・D 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・A 射程2  

新兵器『戦車』を開発・【有】

攻撃力・A 防御力・B 弓攻撃力・D 弓防御力・C 機動力・A 射程2

 

【水陣】(すいじん)

水上型唯一の水上専用陣形。陸上では防御力が激減するので役に立たないが水上では無敵の陣形に変身する。新兵器の『楼船』(ろうせん)があれば攻撃・防御・弓防御が上がる。

新兵器『楼船』を開発・【無】

攻撃力・B 防御力・B 弓攻撃力・C 弓防御力・B 機動力・A 射程2

新兵器『楼船』を開発・【有】

攻撃力・A 防御力・A 弓攻撃力・C 弓防御力・A 機動力・A 射程2

 

その他の陣形

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武将パラメーター

三国志5 武将 朱桓武力【武】89 知力【知】76 魅力【魅】80 政治【政】67

 

※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。

 

経験値45200・勇名6120