三国志5 武将 李典

李典(りてん)

三国志5 武将 李典李 典(り てん、生没年不詳)

李典は若いころ学問を好み、軍事は好きではなかった。

先生について『春秋左氏伝』をはじめ多くの書物に親しんだ。

 

建安7年(202年)、曹操が黎陽の袁譚・袁尚を攻撃した際、李典は程昱とともに船で兵糧を輸送した。

袁尚は魏郡太守の高蕃に命じて水路を遮断させていた。

曹操はあらかじめ「船が通れないなら陸路を行くように」と命じていたが、李典は「高蕃の軍はよろいをつけた兵が少なく、水に頼りきって油断をしているから攻撃すれば必ず勝てる。

軍は朝廷に統御されず、国家の利益になるならば専断は許される。

速やかに攻撃すべきだ」と主張した。

程昱は同意し、高蕃に急襲をかけて打ち破り、水路を回復させた。

 

建安20年(215年)の合肥の戦いの際、李典は張遼・楽進とともに七千人余りの兵を連れて合肥に駐屯していた。

孫権に十万の軍で城を包囲されると、張遼は曹操の命令を奉じて出撃しようとした。

しかし三人は普段から不仲だったため、張遼は彼らが賛同しないことを恐れた。

李典は慨然として「これは国家の大事であり、計略がどうであるかを顧みるだけだ。我々は個人的な恨みで公の道義を忘れるべきではない」と言い、張遼と共に孫権軍を破って敗走させた。100戸の加増を受け300戸となった。

李典は学問を好み、儒家やその思想を貴んだ。

諸将と功績を争わず、士大夫を敬い、慎み深く誠実であったので、軍中ではその長者ぶりを称えられた。

36歳で逝去し、子の李禎が後を継いだ。

 

小説『三国志演義』では、216年の濡須口の戦いでは、曹操が40万以上の軍勢を率いて呉に攻め、李典は徐盛に敗れる。wikiより

覚える特殊能力

三国志5 武将 李典【同討・消化・伏兵・火矢・速攻・遠矢】

陣形

【箕形の陣】(きけいのじん)

平地型の陣形平地向きの陣形。攻撃を受けた時に敵の損害を負傷だけにとどめ、脂肪率を下げることができる。城の上など、回復が可能な場所に陣取ると効果的で、どちらかといえば射撃戦向き。

関連兵器なし

攻撃力・C 防御力・B 弓攻撃力・B 弓防御力・B 機動力・D 射程2

 

【偃月の陣】(えんげつ)

平地型の陣形クリティカルヒット(攻撃力が2倍)発生確率が上がる陣形で、クリティカルヒットは武将の勇名な高いほど発生しやすく、勇名が高い武将にこの陣形を使わせると効果的。  

関連兵器はなし

攻撃力・B 防御力・B 弓攻撃力・C 弓防御力・C 機動力・D 射程2

 

【方円の陣】(ほうえんの陣)

平地型の陣形防御に徹した陣形。どの方向から攻撃をされても防御が変わらないため、包囲されても不利にはならない。攻撃力は低いが『発石車』があれば弓攻撃力が飛躍的に上がる。

発石車  【無】

攻撃力・D 防御力・A 弓攻撃力・D 弓防御力・A 機動力・D 射程3

発石車  【有】

攻撃力・D 防御力・A 弓攻撃力・A 弓防御力・A 機動力・D 射程3

 

その他の陣形

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武将パラメーター

三国志5 武将 李典武力【武】78 知力【知】81 魅力【魅】69 政治【政】49

 

※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。

 

経験値30000・勇名4480