呂範(りょはん)
呂 範(りょ はん、生年不詳 – 228年)
戦乱を避けて寿春に避難し、そこで当時袁術を頼っていた孫策と出会い、孫策から高く評価されたため、呂範はそこで自分のほうから臣下の礼を執り、その場で食客100人をひきつれて孫策のもとに身を寄せた。
孫策は江東にいた母親を呼び寄せるため、その使者の任を呂範に与えた。
しかし、徐州牧陶謙は呂範が袁術の手先であると疑い、捕えた上で拷問を加えたため、呂範の部下や食客が役所を襲撃し、呂範の身柄を奪い返した。
当時の孫策の側近としては、呂範と孫河が双璧であり、常に孫策に従い、苦楽を共にする存在であった。
孫策も呂範を身内として遇し、奥に通して母親がいる座敷で酒食を振る舞ったという。
208年、曹操が攻め寄せてくると、周瑜と共に赤壁で迎え討ちこれを破った(赤壁の戦い)。
228年に大司馬に昇進するも、印綬の授与を待たずして死去した。孫権は哭礼し、印綬を遺族の元に追贈した。
小説『三国志演義』では、当初は袁術配下の軍師であったが、後に孫策と孫権の謀将・参謀として活躍する。
袁術からの独立の密議を、孫策と朱治とが行なっていることを聞きつけ同心することを申し入れ、孫策の配下に加わっている。
孫権の時代には、周瑜と共に婚礼のために呉を訪問していた劉備の暗殺を進言し、賈華を使い実行しようとし、事態が明らかになると賈華にその責任を擦り付けている。
関羽討伐の時は占いで関羽の退路を予測する(正史で占ったのは呉範)場面が描かれる。
洞口の戦いで、呂範は曹休らに大勝した。wikiより
覚える特殊能力
【混乱・同討・収拾・鼓舞・消化・激励】
陣形
【魚鱗の陣】
平地型平地形で「突撃」を実行できる陣形。攻撃力は全陣形中で最も最高。しかし、防御力・弓防御力は最低で、ある程度の損害を覚悟の上でとにかく早く敵を倒したい時に使う陣形。
関連兵器なし
攻撃力・A 防御力・D 弓攻撃力・C 弓防御力・D 機動力・A 射程2
【水陣】(すいじん)
水上型唯一の水上専用陣形。陸上では防御力が激減するので役に立たないが水上では無敵の陣形に変身する。新兵器の『楼船』(ろうせん)があれば攻撃・防御・弓防御が上がる。
新兵器『楼船』を開発・【無】
攻撃力・B 防御力・B 弓攻撃力・C 弓防御力・B 機動力・A 射程2
新兵器『楼船』を開発・【有】
攻撃力・A 防御力・A 弓攻撃力・C 弓防御力・A 機動力・A 射程2
その他の陣形
武将パラメーター
武力【武】40 知力【知】71 魅力【魅】75 政治【政】75
※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。
経験値33000・勇名2640