三国志5 武将 黄忠

黄忠(こうちゅう)

三国志5 武将 黄忠黄 忠(こう ちゅう、未詳 – 220年8月)

劉表に仕え、中郎将に任じられた。また、劉表の従子である劉磐と共に、長沙の攸県の守備の任についていた。

しかし劉表が亡くなり、曹操が荊州を降伏させた後は、曹操より仮の裨将軍に任じられ、職務はそのままで長沙太守であった韓玄の配下についた。

赤壁の戦いの後に、劉備が荊州南4郡を平定すると、黄忠は劉備に帰順して仕えた。

 

劉備が漢中王になると黄忠を後将軍に任命しようとしたが、諸葛亮は「張飛殿・馬超殿らは彼の活躍を見ているので文句は言わないでしょうが、(荊州に残った)関羽将軍はそのことを知らないので、納得しないでしょう」と進言した。

だが劉備は、関羽の説得は自分がすると言って、黄忠を後将軍に任命し、関内侯の爵位を与えた。

後日、やはり諸葛亮の不安が的中し、関羽は黄忠を「老兵」と侮って同列の前将軍になることを拒否したが、費詩の説得で前将軍に就任した。

 

翌年(220年)亡くなった。子が早世していたため、彼の家は断絶した。

 

小説『三国志演義』では、関羽率いる劉備軍が長沙に攻め寄せると、韓玄配下としてこれに応戦する。その際、関羽との一騎討ちで互角に戦うが、馬が躓き危うく討ち取られそうになる。関羽は黄忠の武勇を認め「貴殿のお命しばし預けた。

早く馬を換えて戦いに戻られよ。」と言い、これを見逃している。

これに恩義を感じた黄忠は再戦時に、関羽の兜の緒に矢を命中させる事で、関羽の命を奪うことなく撤退させるが、韓玄に敵軍に内応しているのではと疑われ、捕縛され処刑されそうになる。

しかし、魏延の反乱で韓玄が死亡すると、劉備に仕えることになる。

 

漢中攻略時には、同じく老将である設定の厳顔とコンビを組み、張郃・夏侯尚らを破り、自分を兄の仇と狙う韓玄の弟である設定の韓浩を討ち取っている。

その後は定軍山で夏侯淵を討ち取り、漢中平定後に五虎大将軍の一人とされるのである。関羽が黄忠を老将と侮り、同列扱いされるのを嫌うのは史実通りである。

また史実では220年に亡くなっているが、『演義』では夷陵の戦いにも参加している。

劉備が関興・張苞といった若者を称え、老兵を軽んじる発言をしたため、部下十数名で呉の潘璋の陣へと斬り込んでいる。

しかし最後は馬忠の矢にあたり、それが元で死亡してしまう。wikiより

覚える特殊能力

三国志5 武将 黄忠【火矢・乱射・無双・遠矢・応射・騎射】

陣形

【鈎行の陣】(こうこうの陣)

山岳型の陣形山岳及び森林に適している。攻撃を受けた際に兵士が死亡せず、負傷するだけに止まる確率が高い。負傷した兵は回復可能なので実質的な兵の損耗が減らせる。防御向きの陣形である。

連弩  【無】

攻撃力・D 防御力・B 弓攻撃力・B 弓防御力・A 機動力・B 射程2

連弩  【有】

攻撃力・D 防御力・B 弓攻撃力・A 弓防御力・A 機動力・B 射程3

 

【鶴翼の陣】(かくよく)

平地型唯一『一斉攻撃』が実行できる陣形。一斉攻撃は非常に強力なので城にこもった敵を複数の味方部隊で包囲したとき使える。弓の攻撃力は高いので射撃戦には有利。

関連兵器なし

攻撃力・C 防御力・B 弓攻撃力・A 弓防御力・D 機動力・C 射程2

 

【雁行の陣】(がんこうのじん)

平地型弓での攻撃に特化した陣形。弓攻撃・弓防御は各陣形中最高、射程も長い。敵と接しての攻撃力は最低なので、味方部隊の後ろから援護射撃が適している。

関連兵器なし

攻撃力・D 防御力・B 弓攻撃力・A 弓防御力・A 機動力・B 射程3

 

その他の陣形

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武将パラメーター

三国志5 武将 黄忠武力【武】97 知力【知】66 魅力【魅】86 政治【政】68

 

※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。

 

経験値54000・勇名8780