韓暹(かんせん)
韓 暹(かん せん、? – 197年)
当初は河東郡の白波軍(白波賊・河東黄巾党)の頭領で、黄巾の乱の時は黄巾軍に呼応して、各地で暴れ回ったと言われている。
仲間の頭領には、李楽・胡才がいて、李傕配下の楊奉もかつては白波軍であった。
曹操軍に衝かれて撃破された。このため韓暹は楊奉と共に袁術の下へ落ち延びる。
彼の最期は史書に大きく食い違いがあり、実態はまったく不明である。
『三国志』魏書董卓伝によると『曹操が献帝を迎えた後に揚州・徐州の間に逃亡しそこで略奪を繰り広げたため劉備に殺された』
同蜀書先主伝によると『呂布に徐州を奪われた後に海西に駐屯した劉備によって揚州・徐州で略奪を繰り広げていたところを攻撃され斬られた』
と記録されているがこれらは建安元年(196年)のことであり前述の袁術との戦いに参加したという建安二年の記録と矛盾する(この記録は『三国志』魏書呂布伝による)。
前述の董卓伝に付けられた英雄記によると楊奉が劉備に会見の場で斬られると、韓暹は逃亡し、旧友で沛郡杼秋県屯帥(県尉)でもある張宣の討伐を受け、殺害され、その首級は劉備の下に届けられたという。
小説『三国志演義』では、楊奉と共に曹操に戦いを挑んで敗北し、袁術に降った後、さらに呂布に寝返っている。
その後、呂布と結びつくことを恐れた陳珪の策により、韓暹は沂都に駐屯させられたが、略奪が酷かったため劉備に誅殺され、首級を曹操に献上されている。wikiより
覚える特殊能力
【火計・混乱・収拾・鼓舞・消化・伏兵】
陣形
【鋒矢の陣】(ほうし)
山岳型戦闘で『突撃』が実行可能で攻撃的陣、山や森林の地形では機動力がるだが、防御には弱い、だが研究で新兵器『戦車』を開発すれば少しは弱点を補える。
新兵器『戦車』を開発・【無】
攻撃力・A 防御力・D 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・A 射程2
新兵器『戦車』を開発・【有】
攻撃力・A 防御力・B 弓攻撃力・D 弓防御力・C 機動力・A 射程2
【長蛇の陣】(ちょうだ)
山岳型山林で驚異的な機動力を発揮する陣形。防御力・攻撃力はさほどではないので、遠くの敵に接近するのに使うと良い。新兵器である『筒袖鎧』で防御力と弓防御力を高められる。『筒袖鎧』(とうしゅうがい、つつそでよろい)は、中国の甲冑・鎧の形式の一つ。古代中期に用いられた。
新兵器『筒袖鎧』を開発・【無】
攻撃力・C 防御力・C 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・S 射程2
新兵器『筒袖鎧』を開発・【有】
攻撃力・C 防御力・B 弓攻撃力・D 弓防御力・B 機動力・S 射程2
その他の陣形
武将パラメーター
武力【武】63 知力【知】30 魅力【魅】39 政治【政】19
※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。
経験値25500・勇名1000