三国志5 武将 司馬徽

司馬徽(しばき)

三国志5 武将 司馬徽司馬 徽(しば き、? – 建安13年(208年))

字は徳操。号は水鏡。人物鑑定家として名を博した。

 

荊州に移り住み、龐徳公を兄として仕えた。水鏡の号は龐徳公が名付けたものである。なお諸葛亮を臥龍、龐統を鳳雛と呼んだのも龐徳公であるという。

司馬徽は龐統の才能をいち早く見出し、徐庶・向朗・劉廙・尹黙・李仁などを門下生とした。

柿沼陽平は、敦煌文書のなかに、司馬徽が後漢時代の「少傅」(皇太子の教育係)であったとの記載があることを発見し、司馬徽はたんなる隠士ではなかった可能性を指摘している。

劉備に「臥龍・鳳雛は諸葛亮と龐統のことだ」と教えたといわれる。

荊州を支配していた劉表には仕えず、隠士として暮らしていた。

『世説新語』の注に引く「司馬徽(別)伝」によると「好(よし)」が口癖で、何を言われても「好」と答えていた。

また、友人が子供の死を嘆きに来た時にも「好」と答えたという。

司馬徽の妻がそれを咎めると、笑いながら「お前のいうことも、また好」と答えたという。

劉表に司馬徽の登用を勧める者がいたが、こうした彼の態度を聞いた劉表は「世間の者はいい加減なことを言って(司馬徽を持ち上げて)いるが、ただの書生ではないか」と断ったという。

司馬徽も劉表のことを凡人だと思っていたので、政争に巻き込まれないよう政治談義には手を出さず、このような態度を取っていたという。

中国では、こうした司馬徽の態度から生まれた故事成語に「好好先生」というのがある。

定見を持たない、悪と戦う勇気が無いといった悪い意味で使われるという。wikiより

 

コーエーのゲーム三国志5でも、司馬徽(水鏡先生)の口癖で「よいぞ、よいぞ」という話場面がある。

『世説新語』というものに「好」という口癖があるという事を知りませんでした。

ここまで忠実に作り込まれていたとは、知りませんでした。

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武将パラメーター

三国志5 武将 司馬徽武力【武】18 知力【知】96 魅力【魅】78 政治【政】74

 

※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。

 

経験値60000・勇名0