魯粛(ろしゅく)
魯 粛(ろ しゅく、172年 – 217年)
赤壁の戦いでは降伏派が多い中、主戦論を唱え周瑜・孫権と共に開戦を主張した。
生まれてすぐ父が死去し、祖母と生活した。
裕福な豪族の家に産まれたが、施しを盛んにし、やがて家業を放り出し、財産を投げ打ってまで困っている人を助け、地方の名士と交わりを結んだ。
魯粛の体躯は雄々しく立派で、若いころから壮士の節義を持ち、奇計を考えることを好んだ。天下が乱れんとしていたので、乱世が深まると撃剣・騎射などを習った。
また私兵を集め狩猟を行ない、兵法の習得や軍事の訓練に力をいれていた。
このようなことから、郷里の人々には理解されず、村の長老には「魯家に、気違いの子が生まれた」とまで言われていたという。
撃剣に長け弓術・騎術に秀でていた。
袁術配下に離脱する魯粛は、私兵を引き連れて、周瑜とともに江南を渡り、役人達(袁術勢力)から追っ手を差し向けられたようだ。
魯粛は弓を引き、地面に盾を何枚も矢で貫いてみせて彼らを威嚇した。
赤壁の戦いの直前に劉表が死去すると、すぐに荊州の様子を探りに行くように進言し、劉表の弔問の使者となることを申し出た。
曹操降伏論には孫権にとって利がないことを論じた。
孫権は周瑜に軍の総指揮を任せ、魯粛を賛軍校尉に任命し補佐させた。
赤壁戦を勝利する。
217年秋に46歳で死去した。孫権は哭礼し、葬儀にも直々に参加した。
また諸葛亮も喪に服した。
小説『三国志演義』では、外交に親劉派文官(正史では孫権の帝業と孫・曹二分を中心に、親劉派でもない)として扱われつつも、気弱で優柔不断な性格のために諸葛亮にあしらわれ、周瑜になじられるという損な役回りを演じている。
晚年について、正史では呂蒙等を助けて、関羽を食い止め、領地を奪還した。
劉備側の不正や不義に怒り、彼等を逐一非難した。
演義では劉備を甘やかすばかりだったため、劉備との交渉には完全に失敗した。また、その最期は管輅が占いにより曹操の前で予言した、という設定になっている。wikiより
覚える特殊能力
【混乱・同討・伏兵・水計・沈着・反計】
陣形
【錐行の陣】
平地型の陣形機動性を重視した強襲用の陣形。素早く敵に接近することに向いている。弓攻撃力・弓防御力は最低なので射撃戦には向かない。研究で『強化騎兵』があれば攻撃力・防御力が更に上昇する。
強化騎兵 【無】
攻撃力・C 防御力・C 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・S 射程2
強化騎兵 【有】
攻撃力・A 防御力・B 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・S 射程2
【箕形の陣】(きけいのじん)
平地型の陣形平地向きの陣形。攻撃を受けた時に敵の損害を負傷だけにとどめ、脂肪率を下げることができる。城の上など、回復が可能な場所に陣取ると効果的で、どちらかといえば射撃戦向き。
関連兵器なし
攻撃力・C 防御力・B 弓攻撃力・B 弓防御力・B 機動力・D 射程2
【魚鱗の陣】
平地型平地形で「突撃」を実行できる陣形。攻撃力は全陣形中で最も最高。しかし、防御力・弓防御力は最低で、ある程度の損害を覚悟の上でとにかく早く敵を倒したい時に使う陣形。
関連兵器なし
攻撃力・A 防御力・D 弓攻撃力・C 弓防御力・D 機動力・A 射程2
【長蛇の陣】(ちょうだ)
山岳型山林で驚異的な機動力を発揮する陣形。防御力・攻撃力はさほどではないので、遠くの敵に接近するのに使うと良い。新兵器である『筒袖鎧』で防御力と弓防御力を高められる。『筒袖鎧』(とうしゅうがい、つつそでよろい)は、中国の甲冑・鎧の形式の一つ。古代中期に用いられた。
新兵器『筒袖鎧』を開発・【無】
攻撃力・C 防御力・C 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・S 射程2
新兵器『筒袖鎧』を開発・【有】
攻撃力・C 防御力・B 弓攻撃力・D 弓防御力・B 機動力・S 射程2
【水陣】(すいじん)
水上型唯一の水上専用陣形。陸上では防御力が激減するので役に立たないが水上では無敵の陣形に変身する。新兵器の『楼船』(ろうせん)があれば攻撃・防御・弓防御が上がる。
新兵器『楼船』を開発・【無】
攻撃力・B 防御力・B 弓攻撃力・C 弓防御力・B 機動力・A 射程2
新兵器『楼船』を開発・【有】
攻撃力・A 防御力・A 弓攻撃力・C 弓防御力・A 機動力・A 射程2
その他の陣形
武将パラメーター
武力【武】61 知力【知】96 魅力【魅】90 政治【政】93
※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。
経験値25588・勇名4685