三国志5 武将 顔良

顔良(がんりょう)

三国志5 武将 顔良顔 良(? – 200年5月30日)

袁紹配下。麹義誅殺後から文醜と共に徐々に頭角を表し、建安4年(199年)頃には、共に袁紹軍の将帥として知られるようになり、曹操配下であった孔融にも袁紹軍の勇将の筆頭として名前を挙げられている。

建安5年(200年)、それまで睨み合っていた袁紹・曹操がついに対決した(官渡の戦い)。

開戦に際し、沮授が「顔良は偏狭なので単独で任用してはいけません」と諌めた。

 

袁紹はそれを聞き、白馬津を守る曹操軍の劉延を、郭図・淳于瓊・顔良に攻撃させた。

 

これに対して、曹操は荀攸の献策に従い、于禁と楽進を派遣して袁紹軍の背後を突く動きを見せつつ、猪突してくる顔良が孤立した所を叩く作戦に出た。

 

この作戦は的中し、背後に気付いた郭図と淳于瓊が反応して引き返す中、顔良だけは判断を誤り寡兵で白馬津の戦場に踏み留まってしまった。

 

手薄となった顔良隊に対し、曹操は張遼と当時客将となっていた関羽に命じて、直ちに攻撃させた。

 

顔良を見た関羽は敵軍の中にただ一騎で分け入り、顔良を刺し殺しその首を持ち帰った。

程無く文醜も討たれ、袁紹軍では立て続けに名だたる将軍を2人も失ったため、一方ならぬ恐怖を抱いたという。

曹操軍の荀彧は、上記の孔融に対し「顔良と文醜は匹夫の勇のみです。一戦にして生け捕れます」と答えており、まさにその通りとなった。

 

小説『三国志演義』においては、白馬の戦いで曹操軍の宋憲・魏続を討ち取り、徐晃を撃退する。

それに狼狽した曹操が関羽を繰り出すと、関羽は呂布の遺品であった赤兎馬を駆って突入し、顔良を反撃の間もなく討ち取っている。

嘉靖本の注では、顔良は当時袁紹軍の客将だった劉備から、関羽の人相風体を聞かされており、もし出会ったなら、すぐに劉備の下に来るように伝えてほしいと頼まれている。

このため関羽と距離が近づいても、話しかけようとするのみで応戦しようとしなかったため、斬り捨てられたことにされてしまっている。

また文醜と兄弟同然の親友であり、義兄弟の契りを結んだという設定になっている。wikiより

覚える特殊能力

三国志5 武将 顔良【火計・同討・伏兵・奮迅・無双・強行】

陣形

【錐行の陣】

平地型の陣形機動性を重視した強襲用の陣形。素早く敵に接近することに向いている。弓攻撃力・弓防御力は最低なので射撃戦には向かない。研究で『強化騎兵』があれば攻撃力・防御力が更に上昇する。

強化騎兵 【無】

攻撃力・C 防御力・C 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・S 射程2

強化騎兵 【有】

攻撃力・A 防御力・B 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・S 射程2

 

【鶴翼の陣】(かくよく)

平地型唯一『一斉攻撃』が実行できる陣形。一斉攻撃は非常に強力なので城にこもった敵を複数の味方部隊で包囲したとき使える。弓の攻撃力は高いので射撃戦には有利。

関連兵器なし

攻撃力・C 防御力・B 弓攻撃力・A 弓防御力・D 機動力・C 射程2

 

【偃月の陣】(えんげつ)

平地型の陣形クリティカルヒット(攻撃力が2倍)発生確率が上がる陣形で、クリティカルヒットは武将の勇名な高いほど発生しやすく、勇名が高い武将にこの陣形を使わせると効果的。  

関連兵器はなし

攻撃力・B 防御力・B 弓攻撃力・C 弓防御力・C 機動力・D 射程2

 

【鋒矢の陣】(ほうし)

山岳型戦闘で『突撃』が実行可能で攻撃的陣、山や森林の地形では機動力がるだが、防御には弱い、だが研究で新兵器『戦車』を開発すれば少しは弱点を補える。  

新兵器『戦車』を開発・【無】

攻撃力・A 防御力・D 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・A 射程2  

新兵器『戦車』を開発・【有】

攻撃力・A 防御力・B 弓攻撃力・D 弓防御力・C 機動力・A 射程2

 

その他の陣形

www.opio8.com

武将パラメーター

三国志5 武将 顔良武力【武】95 知力【知】35 魅力【魅】53 政治【政】21

 

※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。

 

経験値25366・勇名4680