三国志5 武将 袁紹

袁紹(えんしょう)

三国志5 武将 袁紹袁 紹(えん しょう、? – 建安7年5月21日〈202年6月28日〉)

後漢時代に4代にわたって三公を輩出した名門汝南袁氏の出身で、袁逢・袁隗の次の世代の人物。

 

何進の掾(属官)【事務処理機構の長官】に召される官吏の職務に就く。

 

189年5月霊帝が崩御し、十常侍ら宦官勢力の一掃を袁術と図り袁紹は、董卓ら諸侯の軍勢を洛陽に召集する。

 

この策は何進に採用される。

 

これが後に董卓と諸侯の権力闘争につながる。

 

何進は袁紹を司隷校尉に任じて、兵権を与え洛陽の武官の取りまとめを任せ、また虎賁中郎将の袁術に命じて宦官から武力を取り上げようとした。

 

しかし、時機を逸した上に秘密が漏れ、逆に何進は宦官に暗殺された。

 

そして、袁紹は宮中に兵を進め、宦官を老若の区別なく皆殺しにした。

 

董卓が混乱に乗じて洛陽に入り、武力を背景に朝廷の実権を握ると、袁紹と董卓の間に確執が生じる。

 

董卓が少帝の廃立を諸侯に提議すると、袁紹はこれに反対して席を立ち、そのまま冀州に逃亡した。

 

初平元年(190年)正月、橋瑁の呼びかけ、各地の刺史や太守が打倒董卓の兵を挙げた。

 

袁紹は同盟軍(反董卓連合軍)の盟主に推薦される。

 

だが、袁紹は董卓軍の強さを恐れ、果敢に洛陽を攻めようとはしなかった。

 

そのため、決戦を主張する曹操らから批判された。

(この辺から曹操は袁紹を見限っていたと思われる。)

 

袁紹らの挙兵を受け、董卓は2月に長安へ都をうつし、洛陽に火を放った。

 

袁隗・袁基ら袁氏一門はことごとく処刑された。

 

これに対し袁紹は、董卓が和睦のために送った使者を捕らえ、執金吾の胡毋班らを殺している。

 

191年4月、陽人の戦いの後、敗れた董卓は洛陽を捨てて長安に撤退。

 

洛陽は焦土と化し、また諸侯の間で内紛も起こり、最終的に連合軍は散らばり。

 

挙兵の大義を失った諸侯はそれぞれの根拠地へ戻り、自衛や勢力拡張のため相争うようになる。

 

こうして後漢は、各地に群雄が割拠する内乱の時代に入った。

 

董卓征討軍が解散した後、袁紹は同じ袁家の出身で、勢力を誇る袁術と対立を深める。

(元々、袁術と袁紹は仲が悪かったのかもしれない。)

 

その後、群雄割拠で董卓が呂布に暗殺される。

 

袁紹は公孫瓚を滅ぼし、曹操は呂布を倒し領土を拡大し、中原の二大勢力となる。

(袁紹の領地が【華北】辺り、曹操の領地が【中原】辺り)

 

199年、劉備が徐州にて曹操に反乱を起こし、袁紹に救援を求めてきたが

 

子供(袁尚)の病を理由に断った。

 

200年、官渡の戦い。

 

緒戦こそ白馬・延津で顔良・文醜らが討ち取られるなど出鼻を挫かれたものの、兵力・物資で勝る袁紹軍はじりじりと曹操陣営を圧迫た。

 

陽武から官渡へと曹操軍を破って進軍した。

 

だが、話を戻せば、これは関羽は一時的に曹操に降り、顔良を討ち取った。

 

初めから、劉備の援軍を断らなけでば、勇将を失わず勝てたかもしれない。

 

文醜は荀攸の策略で戦死。

 

荀彧は、上記の孔融に対し「どれだけの武勇であろうと、顔良と文醜は所詮は匹夫の勇。一戦にして生け捕れます」と述べた。

 

秋になり、曹操軍の兵糧の枯渇で兵が疲弊して、袁紹に投降を考えて内通する者が続出した。

曹操は一時的な退却を考え、荀彧に相談していた。

 

袁紹は眭元進・韓莒子・呂威璜・趙叡の四将を淳于瓊に指揮させ、輸送された食糧を備蓄した兵糧庫を守備させようとした。

 

このときに沮授は、淳于瓊に加えて蔣奇に別働隊を指揮させて守備を万全にすることを袁紹に進言したが、またしても受け入れられなかった。

 

これより以前、袁紹は沮授の軍権を削って郭図と淳于瓊に分け与えるなど、袁紹軍の内部は対立が深刻化していた。

 

10月、袁紹陣営の許攸は膠着した戦線を打開するべく、軽装兵を用いて許都を襲撃することを説いたが袁紹に受け入れられず、また家族が罪を犯して審配に逮捕されたことで嫌気がさし、曹操陣営に投降した。

 

許攸は淳于瓊が守る烏巣の兵糧庫の所在を暴露。

 

烏巣の兵糧庫は炎上陥落し、淳于瓊は敗死した。これが大きな打撃となり、さらに曹操の本陣を攻撃していた高覧・張郃らの寝返りなどもあり、袁紹は冀州に敗走した。

 

201年4月、倉亭を守備していた袁紹配下の軍が、曹操軍に破られた(倉亭の戦い)。

 

曹操も袁紹の存命中は河北に侵攻しなかった。

 

建安7年(202年)5月、袁紹は発病し、苦悶の内に血を吐いて死去した。

wikiより

覚える特殊能力

三国志5 武将 袁紹【混乱・収拾・鼓舞・伏兵・激励・強行】

陣形

【錐行の陣】

平地型の陣形機動性を重視した強襲用の陣形。素早く敵に接近することに向いている。弓攻撃力・弓防御力は最低なので射撃戦には向かない。研究で『強化騎兵』があれば攻撃力・防御力が更に上昇する。

強化騎兵 【無】

攻撃力・C 防御力・C 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・S 射程2

強化騎兵 【有】

攻撃力・A 防御力・B 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・S 射程2

 

【鶴翼の陣】(かくよく)

平地型唯一『一斉攻撃』が実行できる陣形。一斉攻撃は非常に強力なので城にこもった敵を複数の味方部隊で包囲したとき使える。弓の攻撃力は高いので射撃戦には有利。

関連兵器なし

攻撃力・C 防御力・B 弓攻撃力・A 弓防御力・D 機動力・C 射程2

 

【雁行の陣】(がんこうのじん)

平地型弓での攻撃に特化した陣形。弓攻撃・弓防御は各陣形中最高、射程も長い。敵と接しての攻撃力は最低なので、味方部隊の後ろから援護射撃が適している。

関連兵器なし

攻撃力・D 防御力・B 弓攻撃力・A 弓防御力・A 機動力・B 射程3

 

その他の陣形

www.opio8.com

武将パラメーター

三国志5 武将 袁紹武力【武】81 知力【知】77 魅力【魅】92 政治【政】49

 

※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。

 

経験値46297・勇名6700