韓馥(かんふく)
韓 馥(初平3年(192年)10月以降)
『後漢書』に伝のある韓韶や同時代の韓融(大鴻臚)の同族と推測されるが、続柄は明らかでない。
董卓と対立し出奔していた袁紹が、太守として入っていた。
韓馥は元々袁氏に仕えた役人であったが(魏志「袁紹伝」)、董卓の意向を忖度して従事を数人使い、袁紹を監視した(魏志「武帝紀」が引く『英雄記』)。
橋瑁は三公の公文書を偽造し、各国に配布して董卓の罪悪を述べ、諸侯の決起を促そうとした。
韓馥が袁氏に付くか董卓に付くか迷ったが、従事の劉子恵は韓馥の弱気な態度を諌めると共に、真っ先に行動を起こさず「他に決起をする者が出たら、その時に同調すればよいだろう」と進言した。
韓馥は渤海の袁紹に手紙を送り、董卓の悪事を伝えその挙兵を認めた(魏志「武帝紀」が引く『英雄記』)。
初平元年(190年)春正月、関東で反董卓の義兵が挙兵し、韓馥は諸侯の1人として参加した。
韓馥は騎兵を故郷である潁川に派遣し、同郷の荀氏一門(荀彧ら)を冀州に招いていたが、荀彧が到着した時には、既に袁紹に冀州を奪われた。
張邈と袁紹の使者が会見している時、袁紹の使者が張邈に耳打ちするのを見た韓馥は、殺されるのではと勘違いし厠で自殺してしまった。
小説『三国志演義』でも、反董卓同盟に参加し、第2鎮・冀州刺史(史実は牧)として名を連ねている。
董卓軍の猛将華雄に対し、自軍の潘鳳を当たらせるよう推挙するが、あっという間に討たれている。
その後、史実同様に公孫瓚の脅威に怯え、耿武の諌めを聞かず袁紹に冀州を譲渡してしまい、実権を失い後悔して、張邈の下に逃げ込むところで物語から姿を消している。
その最期には触れられていない。
荀諶・辛評が韓馥の幕僚とされているが、史実ではこの2人は韓馥に仕えた事がない。
逆に史実では配下であった沮授・張郃・麴義について、『演義』では全く言及がない。
wikiより
覚える特殊能力
【火計・鼓舞・消火・伏兵・激励・速攻】
陣形
【箕形の陣】(きけいのじん)
平地型の陣形平地向きの陣形。攻撃を受けた時に敵の損害を負傷だけにとどめ、脂肪率を下げることができる。城の上など、回復が可能な場所に陣取ると効果的で、どちらかといえば射撃戦向き。
関連兵器なし
攻撃力・C 防御力・B 弓攻撃力・B 弓防御力・B 機動力・D 射程2
【方円の陣】(ほうえんの陣)
平地型の陣形防御に徹した陣形。どの方向から攻撃をされても防御が変わらないため、包囲されても不利にはならない。攻撃力は低いが『発石車』があれば弓攻撃力が飛躍的に上がる。
発石車 【無】
攻撃力・D 防御力・A 弓攻撃力・D 弓防御力・A 機動力・D 射程3
発石車 【有】
攻撃力・D 防御力・A 弓攻撃力・A 弓防御力・A 機動力・D 射程3
【雁行の陣】(がんこうのじん)
平地型弓での攻撃に特化した陣形。弓攻撃・弓防御は各陣形中最高、射程も長い。敵と接しての攻撃力は最低なので、味方部隊の後ろから援護射撃が適している。
関連兵器なし
攻撃力・D 防御力・B 弓攻撃力・A 弓防御力・A 機動力・B 射程3
その他の陣形
武将パラメーター
武力【武】69 知力【知】44 魅力【魅】66 政治【政】39
※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。
経験値42146・勇名2680