金旋(きんせん)
金 旋(きん せん、? – 209年)
『三国志』によると、赤壁の戦いで曹操が敗れた後、209年に劉備が荊州南部に侵攻し、武陵太守だった金旋は、劉度・韓玄・趙範らとともに降伏した。
一方、『三国志』の裴松之注が引用している『三輔決録注』の「金旋伝」によると、金旋の字は元機、京兆尹の出身で、黄門侍郎から漢陽太守となった後に、改めて徴召され議郎を経て中郎将となり、武陵太守も兼任した。
このときに劉備に攻め込まれるのは『三国志』と同じだが、こちらでは死に追いやられたと書かれている。
また、金旋の子が金禕である。
『三輔決録注』の「金禕伝」で今日まで残っている部分に金旋への言及はないが、文中で金禕は金日磾の子孫とされているので、金禕の父である金旋も同様ということになる。
金禕は218年に曹操に対する反乱に失敗し、この時に彼を始めとする一族は皆殺しとなって滅亡している。
なお、『三輔決録注』は趙岐の『三輔決録』を西晋の摯虞(中国語版)が補完したものであるが、趙岐は201年に死んでいるので、『三輔決録』の原文に金旋や金禕の顛末までは書かれていなかったはずである。
小説『三国志演義』にも武陵太守として登場する。
劉備軍の張飛が攻めてきたとき、配下である鞏志の諫言を退け戦ったが敗れ、武陵に逃げ戻る。
しかし、鞏志に裏切られ矢で射殺されてしまう。
金禕は演義にも登場するが、金旋の子であるとは明言されていない。
wikiより
覚える特殊能力
【火計・収拾・鼓舞・消火・伏兵・反計】
陣形
【衡軛の陣】(こうやく)
山岳型山や森林で高い防御力を誇る陣形。横からの攻撃に対しても防御力が落ちないので、高山など、進入不可能な地形を背に戦えば、敵に囲まれてもかなりの間持ちこたえることができる。
関連兵器なし
攻撃力・D 防御力・B 弓攻撃力・B 弓防御力・B 機動力・D 射程2
【雁行の陣】(がんこうのじん)
平地型弓での攻撃に特化した陣形。弓攻撃・弓防御は各陣形中最高、射程も長い。敵と接しての攻撃力は最低なので、味方部隊の後ろから援護射撃が適している。
関連兵器なし
攻撃力・D 防御力・B 弓攻撃力・A 弓防御力・A 機動力・B 射程3
その他の陣形
武将パラメーター
武力【武】51 知力【知】46 魅力【魅】30 政治【政】30
※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。
経験値45219・勇名720