楽進(がくしん)
楽 進(がく しん、生年不詳 – 218年)
小柄な体格だが激しい胆気を持ち、曹操が董卓に反抗して挙兵すると、その下へ馳せ参じた。
曹操は当初、楽進を武将ではなく帳下の吏(記録係)として用いていた。
あるとき楽進を出身郡へ帰らせて兵を集めさせたところ、楽進は1000もの兵を引き連れ帰還してきたという。
これにより曹操は楽進を武将として起用することにし、軍の仮司馬・陥陣都尉に任命した。
功績は色々あるが省略。
建安13年(208年)7月、曹操の劉表征伐に従軍して荊州を平定し、楽進を州治の襄陽に駐屯させた。
楽進は関羽・蘇非らを攻撃して敗走させ、南郡の山谷に蛮居していた異民族を降伏させた。
また、劉備の任命した臨沮県長の杜普や旌陽県長の梁大を征伐し、大いに破った。
「文聘伝」には、尋口において文聘と共に関羽を討ったとある。
建安17年(212年)、劉備が劉璋へ告げた内容には「関羽は青泥で楽進と対峙しており、自らが救援にいかねば楽進が大勝し、張魯を上回る脅威になる」と述べられている。
建安23年(218年)、死去し、威侯と諡された。子が後を継いだ。
小説『三国志演義』では先登や別働の描写も少なく、関羽戦など幾つもの功績が無くなっている代わりに、弓を得意とする武将として描かれている。
濮陽の地で呂布軍と戦った時には成廉を射殺し、また南皮での袁譚との戦いでは郭図を射殺している。
濡須口の戦いでは凌統と一騎討ちを行ない、数十合の討ち合いを展開するが、その最中に甘寧の矢を顔に受け矢傷を負ってしまう。
その後は登場しない。
wikiより
覚える特殊能力
【同討・落石・火矢・乱射・遠矢・応射】
陣形
【鈎行の陣】(こうこうの陣)
山岳型の陣形山岳及び森林に適している。攻撃を受けた際に兵士が死亡せず、負傷するだけに止まる確率が高い。負傷した兵は回復可能なので実質的な兵の損耗が減らせる。防御向きの陣形である。
連弩 【無】
攻撃力・D 防御力・B 弓攻撃力・B 弓防御力・A 機動力・B 射程2
連弩 【有】
攻撃力・D 防御力・B 弓攻撃力・A 弓防御力・A 機動力・B 射程3
【水陣】(すいじん)
水上型唯一の水上専用陣形。陸上では防御力が激減するので役に立たないが水上では無敵の陣形に変身する。新兵器の『楼船』(ろうせん)があれば攻撃・防御・弓防御が上がる。
新兵器『楼船』を開発・【無】
攻撃力・B 防御力・B 弓攻撃力・C 弓防御力・B 機動力・A 射程2
新兵器『楼船』を開発・【有】
攻撃力・A 防御力・A 弓攻撃力・C 弓防御力・A 機動力・A 射程2
その他の陣形
武将パラメーター
武力【武】80 知力【知】54 魅力【魅】78 政治【政】40
※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。
経験値48955・勇名1680