三国志5 武将 糜芳

糜芳(びぼう)

三国志5 武将 糜芳糜 芳(び ほう、生没年不詳)

兄は糜竺。妹は糜夫人(劉備の夫人)

はじめは兄と共に陶謙に仕え、次いで劉備に仕えた。

 

なぜ関羽を裏切り呉に寝返ったのか?

 

劉備が益州に入った後、関羽は荊州総督となった。

 

糜芳は南郡太守に任じられ、公安を守る士仁と共に荊州の防衛を任された。

 

しかし関羽が彼らを軽んじていたこともあり、かねてから折り合いが悪かった。

 

219年、関羽が北上して樊城攻略を開始すると、糜芳と士仁は物資補給などを行なうだけで、全力で支援しようとしなかった。

 

また、南郡城内で火事が発生し、軍器を多数焼失したことがあった。

 

これらの不始末を聞いた関羽は「帰ったら処罰してやる」と、糜芳を激しく咎めた。

 

これ以降、糜芳は関羽を恐れるようになり、内心不安になったという。

 

このことを聞いた孫権が糜芳に誘いをかけると、糜芳は孫権と内通するようになった。糜芳は使者をだして孫権の兵を迎え入れた。

 

糜芳は城を守っていたが、先に降伏した士仁が呂蒙と一緒にいるのを見ると、降伏したとの記録もある。

 

降伏、内通の経緯ついては諸説あり、『三国志』関羽伝、呂蒙伝、虞翻伝はそれぞれ内通、降伏に関する記述が若干異なる。

 

これ以後、糜芳は孫権の将軍となり、呉に仕えることになった。

 

蜀→呉→魏に寝返ってました。

 

「呉書」賀斉伝によると、孫権の命で賀斉配下の武将となり、呉から魏に寝返って反乱を起こした晋宗を討伐したという記述がある。

 

『季漢輔臣賛』によると糜芳らは蜀呉二カ国で裏切り者として笑いものになったという。 

 

虞翻と船ですれ違ったことがあった。糜芳の部下が「将軍の船のお通りだ」と言うと、虞翻は「(旧主の劉備に対して)忠信(節義)を守れなかった者が、何によって主君に仕えるというのか。

 

二城(南郡・公安)を任されながらそれを失った者が、将軍を名乗ってよいと思っておるのか」と罵倒した。

 

糜芳は姿を見せず返答もしなかったが、急いで虞翻の船を避けさせた。

 

小説『三国志演義』でも、兄と共に劉備配下として活躍する一方、長坂の戦いでは劉備の家族を取り戻そうと敵中に入った趙雲の行為を、裏切りと早合点し劉備に讒言している。

 

劉備が呉討伐を開始した時、自分と傅士仁を殺して蜀に戻ろうとする荊州出身の兵士を恐れ、劉備の親戚であるから処刑されないと考え、傅士仁と共に馬忠を殺し、その首を手土産にして蜀軍に戻る。

 

しかし、関羽を裏切ったことへの劉備の怒りは収まらず、劉備自らの手で傅士仁と共に斬り殺されている。

 

wikiより

糜芳は三国志 Three Kingdomsでも古参でちょくちょく登場してましたね

覚える特殊能力

三国志5 武将 糜芳【火計・同討・消火・水計・速攻・遠矢】

陣形

【衡軛の陣】(こうやく)

山岳型山や森林で高い防御力を誇る陣形。横からの攻撃に対しても防御力が落ちないので、高山など、進入不可能な地形を背に戦えば、敵に囲まれてもかなりの間持ちこたえることができる。

関連兵器なし

攻撃力・D 防御力・B 弓攻撃力・B 弓防御力・B 機動力・D 射程2

 

【水陣】(すいじん)

水上型唯一の水上専用陣形。陸上では防御力が激減するので役に立たないが水上では無敵の陣形に変身する。新兵器の『楼船』(ろうせん)があれば攻撃・防御・弓防御が上がる。

新兵器『楼船』を開発・【無】

攻撃力・B 防御力・B 弓攻撃力・C 弓防御力・B 機動力・A 射程2

新兵器『楼船』を開発・【有】

攻撃力・A 防御力・A 弓攻撃力・C 弓防御力・A 機動力・A 射程2

 

その他の陣形

www.opio8.com

武将パラメーター

三国志5 武将 糜芳武力【武】68 知力【知】40 魅力【魅】22 政治【政】16

 

※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。

 

経験値42009・勇名4380