潘濬(はんしゅん)
潘 濬(はん しゅん、? – 239年)
劉表・劉備に仕え、両者から有能だと評価された。その後は呉に仕え、孫権からは特に信任され重く用いられた。『三国志』呉志 に伝がある。
20歳前後の時、宋忠から学問を学んだ。『呉書』によると、聡明な資質を持ち、人との応対は機敏で、その言葉は理論立っていたとされ、王粲に高く評価されたのを機に、荊州の人士の間で名声を得た。
30歳以前の時、劉表に召し出され江夏郡の従事となった。
劉備が荊州を治めるようになると、その配下となり荊州の従事を務めた。
劉備が益州に入ると荊州に留められ、州の事務を一任される事になった。
劉備には信任されていたが、関羽は親交を結ぼうとはしなかったという。
建安24年(219年)、荊州は糜芳・士仁が寝返って、孫権に占領された。
荊州にいた劉備配下の部将や役人のほとんどが孫権に帰順したが、潘濬だけは自宅に退き出頭しなかった。
そのため孫権は潘濬を寝台に括り付けて自分の下に連行させ、自ら親しくその説得に当たり、心服させた。
潘濬は輔軍中郎将に任じられ、荊州の軍事を委任された。
赤烏2年(239年)死去。
覚える特殊能力
【同討・収拾・鼓舞・消火・伏兵・激励】
陣形
【鈎行の陣】(こうこうの陣)
山岳型の陣形山岳及び森林に適している。攻撃を受けた際に兵士が死亡せず、負傷するだけに止まる確率が高い。負傷した兵は回復可能なので実質的な兵の損耗が減らせる。防御向きの陣形である。
連弩 【無】
攻撃力・D 防御力・B 弓攻撃力・B 弓防御力・A 機動力・B 射程2
連弩 【有】
攻撃力・D 防御力・B 弓攻撃力・A 弓防御力・A 機動力・B 射程3
【方円の陣】(ほうえんの陣)
平地型の陣形防御に徹した陣形。どの方向から攻撃をされても防御が変わらないため、包囲されても不利にはならない。攻撃力は低いが『発石車』があれば弓攻撃力が飛躍的に上がる。
発石車 【無】
攻撃力・D 防御力・A 弓攻撃力・D 弓防御力・A 機動力・D 射程3
発石車 【有】
攻撃力・D 防御力・A 弓攻撃力・A 弓防御力・A 機動力・D 射程3
その他の陣形
武将パラメーター
武力【武】12 知力【知】67 魅力【魅】40 政治【政】73
※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。
経験値42200・勇名500