賈逵(かき)
賈 逵(か き、174年 – 228年)
賈逵の一族は名家であったが、10代前半に両親が死没したため、貧しい暮らしをしたが兵法などの勉学に励んだ。
郡の役人となり、絳の邑長となった。
朝廷の実権を握る曹操の招きを受け、司空掾(属官)となった。
曹丕が魏王になると、賈逵は鄴県県令となり、やがて魏郡太守に昇進した。
豫州は呉と国境を接していたため、軍備の整備と充実に励んだ。
中でも特筆すべきが、二百里にも及ぶ大運河を築き上げたことであり、この大運河は『賈侯渠』と呼ばれた。
呉との軍役にも何度か参加し、呂範を破るなど功績を挙げ、建威将軍・陽里亭侯となった。
また、呉軍の東西に伸びた防備ラインを打ち破るため、長江までの直通の通路を整備することを主張した。曹丕(文帝)はこれを賞したという。
曹休とは仲が悪く、曹丕が賈逵に節を与えようとした時、曹休は賈逵の性格に問題があると言いそれを撤回させている。
228年に呉へ侵攻したとき、呉領深く進攻した曹休が窮地に陥った。
賈逵はその援軍として赴き、呉軍に大敗した曹休の窮地を救った。
しかし『魏略』において、曹休が賈逵に敗戦の責任を転嫁するような上奏をしたため、賈逵はやむを得ず弁明の上奏をしたという。
また『魏書』においては、曹休は救援が遅かったと言って賈逵をなじり、罪に陥れようとした。しかし賈逵は黙ったままだったとある。
その後、病気に罹って危篤に陥り急死した。享年は55。
小説『三国志演義』では、呉の周魴の髪を切った偽りの投降を魏軍で唯一見抜き進言するも、曹休の怒りを買い後軍を任されている。
しかし曹休が呉軍に大敗すると読んでいた彼はいち早く救援に向かって曹休の窮地を救い、曹休から感謝されている。
wikiより
覚える特殊能力
【火計・同討・収拾・伏兵・陣立・反計】
陣形
【錐行の陣】
平地型の陣形機動性を重視した強襲用の陣形。素早く敵に接近することに向いている。弓攻撃力・弓防御力は最低なので射撃戦には向かない。研究で『強化騎兵』があれば攻撃力・防御力が更に上昇する。
強化騎兵 【無】
攻撃力・C 防御力・C 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・S 射程2
強化騎兵 【有】
攻撃力・A 防御力・B 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・S 射程2
【鶴翼の陣】(かくよく)
平地型唯一『一斉攻撃』が実行できる陣形。一斉攻撃は非常に強力なので城にこもった敵を複数の味方部隊で包囲したとき使える。弓の攻撃力は高いので射撃戦には有利。
関連兵器なし
攻撃力・C 防御力・B 弓攻撃力・A 弓防御力・D 機動力・C 射程2
その他の陣形
武将パラメーター
武力【武】47 知力【知】74 魅力【魅】67 政治【政】71
※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。
経験値42150・勇名0