三国志5 武将 霍峻

霍峻(かくしゅん)

三国志5 武将 霍峻霍 峻(かく しゅん、180年 – 219年)

兄は霍篤。子は霍弋。

 

兄の霍篤の死後、劉表の命により霍峻はその私兵を受け継いだ。

 

建安13年(208年)劉表が死去すると劉備に仕えた。

 

建安17年(212年)、劉備の入蜀に際し、霍峻は広漢郡の葭萌城の守備を命じられた。

 

張魯配下の楊帛から寝返りの誘いがあったが、これを断ったという。

 

劉璋軍の扶禁・向存ら一万余の軍勢に城を包囲されたが、1年に亘り守り通した。

 

そして数百の軍勢の中から精鋭を選抜し、城外へ出撃して扶禁・向存を破り、向存を斬った。

 

この功績により建安22年(217年)、梓潼太守兼裨将軍に任じられた。

 

建安24年(219年)、在職中に40歳で死去し、遺体は成都に葬られた。

 

劉備はその死を大変悲しみ、葬儀の際は墓の側で宿泊したという。

 

 

小説『三国志演義』では、劉備の入蜀の際に初登場する。

 

この時、劉璋から劉備に鞍替えした孟達の推薦で、孟達と共に葭萌関(正史では葭萌城)を守った。

 

益州平定後も孟達と共に葭萌関を守り、張郃が襲来すると霍峻は籠城を主張したが、孟達は出撃し大敗している。

 

その後、援軍として黄忠・厳顔の2老将が派遣されてくると、霍峻は孟達と共に諸葛亮の不手際を笑ったが、黄忠・厳顔の活躍で魏軍は撃退された。

 

wikiより

覚える特殊能力

三国志5 武将 霍峻【火計・混乱・伏兵・火矢・遠矢・沈着】

陣形

【鋒矢の陣】(ほうし)

山岳型戦闘で『突撃』が実行可能で攻撃的陣、山や森林の地形では機動力がるだが、防御には弱い、だが研究で新兵器『戦車』を開発すれば少しは弱点を補える。  

新兵器『戦車』を開発・【無】

攻撃力・A 防御力・D 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・A 射程2  

新兵器『戦車』を開発・【有】

攻撃力・A 防御力・B 弓攻撃力・D 弓防御力・C 機動力・A 射程2

 

【衡軛の陣】(こうやく)

山岳型山や森林で高い防御力を誇る陣形。横からの攻撃に対しても防御力が落ちないので、高山など、進入不可能な地形を背に戦えば、敵に囲まれてもかなりの間持ちこたえることができる。

関連兵器なし

攻撃力・D 防御力・B 弓攻撃力・B 弓防御力・B 機動力・D 射程2

 

その他の陣形

www.opio8.com

武将パラメーター

三国志5 武将 霍峻武力【武】77 知力【知】65 魅力【魅】70 政治【政】51

 

※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。

 

経験値42214・勇名0