三国志5 武将 徐庶

徐庶(じょしょ)

三国志5 武将 徐庶徐 庶(じょ しょ、? – 234年?)

 

撃剣の使い手で、義侠心に厚く、人の敵討ちを引き受けるが役人に捕らわれ、後日仲間に助け出された。

 

これに感激して以降は剣を捨て、学問に励むようになり、出身地を同じくする石韜と親しく交際するようになった。

 

中平年間(184年 – 189年)に中原が乱れると、石韜と共に荊州へ移住し、司馬徽の門下生となった。諸葛亮・孟建と特に親しくなり、韓嵩・向朗とも親交した。

 

徐庶・孟建・石韜は学問を精密に理解しようと努力したが、諸葛亮は大要を掴むことに努めた。

 

諸葛亮は「徐庶・孟建・石韜は仕官すれば、州刺史か郡太守くらいにはなれるだろう」と言ったが、自分の事は言わなかった。

 

劉備が曹操に敗北した折、徐庶の母が曹操軍の捕虜になると、動揺した徐庶は劉備に別れを告げて曹操の下に赴いた。

 

その後は魏に仕え、黄初年間に彭城の相として曹拠に属し、右中郎将に昇進。

 

224年の詔勅で曹拠が定陶県王に降格されると、人事異動で御史中丞に昇進。

 

232年に曹叡が皇室の権力を強化させる政策に出ると、その性格から猟官活動に無関心であった為に復た彭国の相に戻り、諸葛亮と同時期に生涯を終えた。

 

小説『三国志演義』では、新野時代の劉備と出会い軍師として迎えられ、曹仁との新野城の攻防戦では先遣隊の呂曠、呂翔率いる魏軍5000を2000で迎撃し、見事に打ち破り二人を屠る。

 

報復と称して曹仁、李典が25000で南下するが、曹仁の八門金鎖の陣を見破り完膚無きまでに叩き伏せ、曹仁の本拠地の樊城を奪う。

 

程昱の策による徐庶の母親の筆跡を真似た手紙を受け取り、止むなく曹操に下ることになるが、去り際に劉備に諸葛亮を推薦し劉備の下を去っている。

 

この事を知った母親は自殺し、徐庶はこの事で曹操のために献策はしないという誓いを立てた。

 

赤壁の戦いにも従軍するが、龐統が仕掛けた連環の計の真意に気づきながらもこれを見逃し、龐統の助言により「涼州の侵攻に対する備え」という名目で陣を離れ、被害を免れている。

 

因みに『演義』第36回に、徐庶の弟の徐康が程昱の発言中に登場する。

 

wikiより

覚える特殊能力

三国志5 武将 徐庶【火計・混乱・同討・占卜・沈着・反計】

陣形

【錐行の陣】

平地型の陣形機動性を重視した強襲用の陣形。素早く敵に接近することに向いている。弓攻撃力・弓防御力は最低なので射撃戦には向かない。研究で『強化騎兵』があれば攻撃力・防御力が更に上昇する。

強化騎兵 【無】

攻撃力・C 防御力・C 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・S 射程2

強化騎兵 【有】

攻撃力・A 防御力・B 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・S 射程2

 

【鈎行の陣】(こうこうの陣)

山岳型の陣形山岳及び森林に適している。攻撃を受けた際に兵士が死亡せず、負傷するだけに止まる確率が高い。負傷した兵は回復可能なので実質的な兵の損耗が減らせる。防御向きの陣形である。

連弩  【無】

攻撃力・D 防御力・B 弓攻撃力・B 弓防御力・A 機動力・B 射程2

連弩  【有】

攻撃力・D 防御力・B 弓攻撃力・A 弓防御力・A 機動力・B 射程3

 

【箕形の陣】(きけいのじん)

平地型の陣形平地向きの陣形。攻撃を受けた時に敵の損害を負傷だけにとどめ、脂肪率を下げることができる。城の上など、回復が可能な場所に陣取ると効果的で、どちらかといえば射撃戦向き。

関連兵器なし

攻撃力・C 防御力・B 弓攻撃力・B 弓防御力・B 機動力・D 射程2

 

【雁行の陣】(がんこうのじん)

平地型弓での攻撃に特化した陣形。弓攻撃・弓防御は各陣形中最高、射程も長い。敵と接しての攻撃力は最低なので、味方部隊の後ろから援護射撃が適している。

関連兵器なし

攻撃力・D 防御力・B 弓攻撃力・A 弓防御力・A 機動力・B 射程3

 

その他の陣形

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武将パラメーター

三国志5 武将 徐庶武力【武】68 知力【知】97 魅力【魅】85 政治【政】86

 

※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。

 

経験値50085・勇名0