三国志5 武将 厳顔

厳顔(げんがん)

三国志5 武将 厳顔厳 顔(げん がん、生没年不詳)

 

劉焉→劉璋に仕え、巴郡太守だった趙筰の部将であった。

 

211年、劉備が劉璋の招きで入蜀すると、「一人で奥山に座し、猛虎を放って我が身を守るようなものだ」と嘆息したという。

 

212年、劉備が益州を奪い取ろうと攻めて来た時にも巴郡を守っていたが、劉備軍の張飛の攻撃に遭って捕らえられた。

 

捕虜になったのだから自分に跪けと言う張飛に対し、「お前達は無礼にも、我が州を侵略した。我が州に断頭将軍 (首を刎ねられる将軍)はいても、降伏する将軍はいない。早く首を斬れ」と堂々と言い放った。

 

張飛は腹を立てたが、厳顔はさらに「匹夫め、さっさと斬れ。怒るだけ無駄だ」と言い放った。

 

この事で張飛は感嘆し、厳顔の縄を自ら解き、厚く持て成したといわれている。

 

このため厳顔も降伏し、以後は劉備の家臣となった。

 

類似した逸話は由利維平にも存在し、捕虜の身でありながら「運尽きて囚人と為るは、勇士の常」と堂々とした態度で梶原景時の無礼をたしなめ、畠山重忠が礼を尽くすと尋問に応じた。

 

それを見ていた源頼朝も「勇敢の誉れ有るに依って」罪を許した。

 

正史において厳顔の記述は少なく、生没年も不詳で、『三国志演義』で描かれるような老将という表現も無い。

 

張飛に言い放った言葉だけは明確に記述されている。

 

『三国志演義』で厳顔は老将の設定だが、正史で老将なのは張任である。

 

張飛に降伏した後、自ら他の守将に降伏勧告を行なっている。

 

その後は黄忠と共に老将コンビを結成して漢中攻略の際には大いに活躍している。

 

南宋末期の右丞相文天祥が作った詩「正気の歌」にも、蘇武・張巡ら歴代の忠臣義士と並んで厳顔が登場する。

 

生没年も不明で、最終的には帰順した人物が張良・諸葛亮・蘇武といった顔触れとともに登場するのも、ひとえに張飛に言い放った言葉の強い印象故と言えよう。

 

重慶市忠県で三国時代の墓が発見された際、地元の言い伝えを根拠に厳顔の墓であると主張された事があった。

 

wikiより

覚える特殊能力

三国志5 武将 厳顔【混乱・同討・火矢・速攻・遠矢・応射】

陣形

【鋒矢の陣】(ほうし)

山岳型戦闘で『突撃』が実行可能で攻撃的陣、山や森林の地形では機動力がるだが、防御には弱い、だが研究で新兵器『戦車』を開発すれば少しは弱点を補える。  

新兵器『戦車』を開発・【無】

攻撃力・A 防御力・D 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・A 射程2  

新兵器『戦車』を開発・【有】

攻撃力・A 防御力・B 弓攻撃力・D 弓防御力・C 機動力・A 射程2

 

【衡軛の陣】(こうやく)

山岳型山や森林で高い防御力を誇る陣形。横からの攻撃に対しても防御力が落ちないので、高山など、進入不可能な地形を背に戦えば、敵に囲まれてもかなりの間持ちこたえることができる。

関連兵器なし

攻撃力・D 防御力・B 弓攻撃力・B 弓防御力・B 機動力・D 射程2

 

【長蛇の陣】(ちょうだ)

山岳型山林で驚異的な機動力を発揮する陣形。防御力・攻撃力はさほどではないので、遠くの敵に接近するのに使うと良い。新兵器である『筒袖鎧』で防御力と弓防御力を高められる。『筒袖鎧』(とうしゅうがい、つつそでよろい)は、中国の甲冑・鎧の形式の一つ。古代中期に用いられた。

新兵器『筒袖鎧』を開発・【無】

攻撃力・C 防御力・C 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・S 射程2

新兵器『筒袖鎧』を開発・【有】

攻撃力・C 防御力・B 弓攻撃力・D 弓防御力・B 機動力・S 射程2

 

その他の陣形

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武将パラメーター

三国志5 武将 厳顔武力【武】88 知力【知】70 魅力【魅】79 政治【政】63

 

※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。

 

経験値51396・勇名8070