趙範(ちょうはん)
趙 範(ちょう はん、生没年不詳)
209年の時点では桂陽郡の太守であり、韓玄・金旋・劉度と同じく、侵攻してきた劉備に降伏する。
「趙雲別伝」によると、上記の降伏後に趙範に代わって太守に就いたのは劉備軍の趙雲であり、趙範は趙雲に取り入るため、亡き兄の妻の樊氏と結婚させようとした。
しかし、趙雲は「趙範の兄も趙姓で自分と同姓であるから」と断り、周りの者になおも勧められると「趙範は追い詰められて降伏しただけで、まだ何を考えているか分らない。
(彼女を選ばなくても)天下に女は少なくない」と言って拒否した。
後に趙範は逃亡した。
『三国志演義』においては、趙雲との関係で様々な脚色がなされている。趙雲と遠縁で、同じ常山郡真定県の出身ということにされている。
荊州南部4郡の占拠を狙う劉備軍に対し、鮑隆・陳応の二人の将軍を差し向け一旦は対抗したものの、大敗し降伏する。
このためその後、同姓の誼ということを利用して趙雲と義兄弟の契りを結び、親交を深めるため自分の嫂(あによめ。樊氏のことか)を譲ろうとしたが、逆にそれが元で関係が険悪となり、趙雲から袋叩きにされてしまう。
これに怒った趙範はついに趙雲の寝首を掻こうとしたが、裏をかいた趙雲に敗れ再び降伏する(前述の二将は酔い潰されて処断される)ことになっている。
降伏以後の出番はないが、後の長沙征伐の際に、あくまで韓玄との引き合いではあるが、思慮深い人物という評価を諸葛亮が関羽に対して伝える場面がある。
wikiより
覚える特殊能力
【火計・混乱・同討・収拾・鼓舞・消火】
陣形
【魚鱗の陣】
平地型平地形で「突撃」を実行できる陣形。攻撃力は全陣形中で最も最高。しかし、防御力・弓防御力は最低で、ある程度の損害を覚悟の上でとにかく早く敵を倒したい時に使う陣形。
関連兵器なし
攻撃力・A 防御力・D 弓攻撃力・C 弓防御力・D 機動力・A 射程2
【衡軛の陣】(こうやく)
山岳型山や森林で高い防御力を誇る陣形。横からの攻撃に対しても防御力が落ちないので、高山など、進入不可能な地形を背に戦えば、敵に囲まれてもかなりの間持ちこたえることができる。
関連兵器なし
攻撃力・D 防御力・B 弓攻撃力・B 弓防御力・B 機動力・D 射程2
その他の陣形
武将パラメーター
武力【武】38 知力【知】63 魅力【魅】45 政治【政】58
※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。
経験値45200・勇名3340