三国志5 武将 李厳

李厳(りげん)

三国志5 武将 李厳李 厳(り げん、? – 234年)

荊州牧であった劉表は李厳を取り立る。

 

208年、秭帰県令を務めていた時に曹操が荊州に侵攻したため、益州へ逃れて劉璋に仕えた。

 

213年、劉璋は李厳を護軍に任命し、綿竹で劉備を防がせた。

 

李厳は軍勢を率いて劉備に降伏し、劉備は李厳を裨将軍に任命した。

 

諸葛亮・法正・劉巴・伊籍と共に『蜀科』の制定に尽力した。

 

223年、劉備の臨終に際して李厳は諸葛亮と共に枕元へ呼ばれ、太子の劉禅を補佐するよう遺詔を受けた。

 

李厳は魏に投降していた孟達へ手紙を送り、「諸葛亮とともに劉備から遺詔を受けたことへの責任を痛感している」と、胸の内を語った上で「良き協力者を得たい」と述べている。

 

諸葛亮も孟達に手紙を送り、李厳の仕事ぶりを賞賛している。

 

231年春、諸葛亮は再び北伐を行い、李厳は兵糧輸送の任務についた。

 

長雨による輸送の遅滞を理由に、馬忠と成藩を派遣して諸葛亮に撤退を促した。

 

華陽国志によると、李厳は兵糧を水上輸送することを嫌い、諸葛亮に凱旋してはどうかと告げて補給をやめてしまった。

 

諸葛亮が漢中まで帰ってくると、李平は輸送の失敗を咎められることを恐れ、督運領の岑述を殺そうとしたという。

 

李厳は撤退したことを諸葛亮の責任にしようと謀った。

 

劉禅にも上奏し「丞相(諸葛亮)は敵を誘うために撤退したふりをしているだけでございます」と嘘をついた。

 

諸葛亮は李厳の書いた手紙を集め、その矛盾を追及した。

 

李厳はこの追及に敵わず、罪を認め謝罪した。

 

諸葛亮は劉禅に上奏し、これまで自らが李厳のいい加減さを知りつつも、才能を惜しみ任用し続けたことを陳謝した上で、李厳を弾劾し罪を明らかにするよう求めた。

 

李厳は免官となり庶民に降格され、梓潼郡へ流された。

 

李厳の失脚後、諸葛亮は蘇秦・張儀のような事態が起こるとは思わなかったとして、蔣琬・董允にこのことを陳震へ知らせるよう手紙を送っている。

 

諸葛亮は李厳の地位を剥奪したが、子の李豊には罪を問わず、手紙を送って父の汚名を返上すべく職務に励むよう諭している。

 

李厳は失脚後、諸葛亮ならばいずれ自分を復帰させてくれると期待していた。

 

234年、諸葛亮の死を聞いて、自分が復職することはもはやあるまいと嘆き、まもなく発病して死去した。

 

 

『三国志演義』では、成都へ侵攻する劉備軍と対峙し、黄忠との一騎討ちで引き分ける実力を見せるが、諸葛亮の策によって捕らえられ、劉備の説得により降伏している。

wikiより

覚える特殊能力

三国志5 武将 李厳【鼓舞・落石・伏兵・無双・沈着・応射】

陣形

【錐行の陣】

平地型の陣形機動性を重視した強襲用の陣形。素早く敵に接近することに向いている。弓攻撃力・弓防御力は最低なので射撃戦には向かない。研究で『強化騎兵』があれば攻撃力・防御力が更に上昇する。

強化騎兵 【無】

攻撃力・C 防御力・C 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・S 射程2

強化騎兵 【有】

攻撃力・A 防御力・B 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・S 射程2

 

【鶴翼の陣】(かくよく)

平地型唯一『一斉攻撃』が実行できる陣形。一斉攻撃は非常に強力なので城にこもった敵を複数の味方部隊で包囲したとき使える。弓の攻撃力は高いので射撃戦には有利。

関連兵器なし

攻撃力・C 防御力・B 弓攻撃力・A 弓防御力・D 機動力・C 射程2

 

【長蛇の陣】(ちょうだ)

山岳型山林で驚異的な機動力を発揮する陣形。防御力・攻撃力はさほどではないので、遠くの敵に接近するのに使うと良い。新兵器である『筒袖鎧』で防御力と弓防御力を高められる。『筒袖鎧』(とうしゅうがい、つつそでよろい)は、中国の甲冑・鎧の形式の一つ。古代中期に用いられた。

新兵器『筒袖鎧』を開発・【無】

攻撃力・C 防御力・C 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・S 射程2

新兵器『筒袖鎧』を開発・【有】

攻撃力・C 防御力・B 弓攻撃力・D 弓防御力・B 機動力・S 射程2

 

その他の陣形

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武将パラメーター

三国志5 武将 李厳武力【武】87 知力【知】82 魅力【魅】80 政治【政】41

 

※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。

 

経験値25260・勇名3700