蔣欽(しょうきん)
蔣 欽(しょう きん、? – 219年)
周泰とともに孫策に仕えた。
建安20年(215年)、合肥の戦いでは、孫権軍は撤退のとき逍遥津撤退戦で孫権・呂蒙・蔣欽・甘寧・凌統らが殿として敵の追撃を防ぎ曹操軍の張遼・楽進らの奇襲で蔣欽は奮戦して孫権を守り切る。
建安24年(219年)、兼ねてより荊州をめぐって劉備と抗争していた孫権は、荊州を奪還することを計画し、呂蒙に総指揮を任せた。
このときの戦いに蔣欽も参戦し、呂蒙の計画通り、水軍を率い沔水の流域を進み勝利した。
帰還の途中に病を得て没した。
聡明ではあったが教養に乏しかったため、呂蒙と共に孫権から勉学に励むように諭された。
『三国志演義』では、元々周泰とともに水賊をしていたが、劉繇と戦った孫堅の遺児である孫策の軍に参加し、劉繇が孫策に敗れ、劉繇の部下の陳横は、蔣欽に弓矢で射殺された。
江東平定戦で活躍することになっている。
正史と異なり、赤壁の戦いやその後の南郡の戦いにも参加するが、南郡では曹仁と牛金に大敗してしまうため、周瑜に斬られそうになっている(正史では蔣欽は赤壁の戦いや南郡の戦いに参加しなかったが、かえって賀斉とは歙県と黟県の討伐に向かうと、大規模な反乱を平定した)。
劉備が孫夫人との婚礼のために呉を訪問したときは、張昭の薦めで孫夫人と逃走した劉備の追撃を周泰とともに任され、従わないときは夫婦共々斬ってもよいという命令を受けている。
関羽討伐戦に参加するのを最後に、物語から姿を消し、その死の描写や報告もない。
wikiより
覚える特殊能力
【火計・収拾・鼓舞・水計・火矢・乱射】
陣形
【鋒矢の陣】(ほうし)
山岳型戦闘で『突撃』が実行可能で攻撃的陣、山や森林の地形では機動力がるだが、防御には弱い、だが研究で新兵器『戦車』を開発すれば少しは弱点を補える。
新兵器『戦車』を開発・【無】
攻撃力・A 防御力・D 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・A 射程2
新兵器『戦車』を開発・【有】
攻撃力・A 防御力・B 弓攻撃力・D 弓防御力・C 機動力・A 射程2
【水陣】(すいじん)
水上型唯一の水上専用陣形。陸上では防御力が激減するので役に立たないが水上では無敵の陣形に変身する。新兵器の『楼船』(ろうせん)があれば攻撃・防御・弓防御が上がる。
新兵器『楼船』を開発・【無】
攻撃力・B 防御力・B 弓攻撃力・C 弓防御力・B 機動力・A 射程2
新兵器『楼船』を開発・【有】
攻撃力・A 防御力・A 弓攻撃力・C 弓防御力・A 機動力・A 射程2
その他の陣形
武将パラメーター
武力【武】78 知力【知】70 魅力【魅】66 政治【政】40
※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。
経験値42150・勇名5400