三国志5 武将 劉璋

劉璋(りゅうしょう)

三国志5 武将 劉璋劉 璋(りゅう しょう、延熹5年(162年)頃? – 219年(建安24年))

劉焉の子で劉範・劉誕・劉瑁・劉璋。

 

194年(興平元年)に兄の劉範、劉誕が相次いで亡くなる。

 

劉焉が病死しし劉璋を益州刺史となる。(李傕政権)

 

曹操が荊州を制圧、兄・劉瑁は精神を病み亡くなる。

 

劉璋の重臣に張松・法正・孟達(劉璋の下では出世できないと考える派)

 

王累・黄権・劉巴(反対派・本当の重臣)が存在し

 

張松・法正・孟達らは、劉備を益州の牧として迎えようと画策する。

 

益州は張魯や曹操らの脅威が迫りつつあり、張松らの進言を聞き入れ劉備を益州に入れることを許してしまう。

(守ってもらう為に劉備を益州に入れたが、後に劉備に益州を乗っ取られる。)

 

張松の兄張粛の密告で張松の内通行為が劉璋にバレて張松を処刑して劉備と対立する。

 

劉璋の武将の劉循・張任らが抗戦したが、戦慣れした劉備軍に敗れ

214年(建安19年)の夏5月の劉備の降伏する。

 

降伏後、劉璋は劉備の命令で次男の劉闡と共に荊州の西部にある公安に移された。

 

長男の劉循は奉車中郎将として、成都に滞まってそのまま劉備の家臣となった。

 

219年(建安24年)、関羽が呂蒙によって殺され、荊州が孫権に奪われた時、劉璋はそのまま帰順して家臣となり、孫権に益州牧に任じられたが、間もなく病死した。

 

wikiより

覚える特殊能力

三国志5 武将 劉璋【火計・混乱・収拾・鼓舞・消火・激励】

陣形

【鈎行の陣】(こうこうの陣)

山岳型の陣形山岳及び森林に適している。攻撃を受けた際に兵士が死亡せず、負傷するだけに止まる確率が高い。負傷した兵は回復可能なので実質的な兵の損耗が減らせる。防御向きの陣形である。

連弩  【無】

攻撃力・D 防御力・B 弓攻撃力・B 弓防御力・A 機動力・B 射程2

連弩  【有】

攻撃力・D 防御力・B 弓攻撃力・A 弓防御力・A 機動力・B 射程3

 

【方円の陣】(ほうえんの陣)

平地型の陣形防御に徹した陣形。どの方向から攻撃をされても防御が変わらないため、包囲されても不利にはならない。攻撃力は低いが『発石車』があれば弓攻撃力が飛躍的に上がる。

発石車  【無】

攻撃力・D 防御力・A 弓攻撃力・D 弓防御力・A 機動力・D 射程3

発石車  【有】

攻撃力・D 防御力・A 弓攻撃力・A 弓防御力・A 機動力・D 射程3

 

その他の陣形

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武将パラメーター

三国志5 武将 劉璋武力【武】33 知力【知】60 魅力【魅】85 政治【政】43

 

※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。

 

経験値51025・勇名2310