三国志5 武将 厳畯

厳畯(げんしゅん)

三国志5 武将 厳畯厳 畯(げん しゅん、生没年不詳)

戦乱を避けて江東へ移住し、諸葛瑾や歩騭と親交を結び、彼らと並ぶ名声を得た。

 

張昭の推挙で孫権に仕える。

 

建安22年(217年)に魯粛が死去すると、後任として一万の兵を率いて陸口に駐屯するよう命じられた。

 

だが、厳畯は「私は書生に過ぎず、軍事に明るくありません。非才の者を用いれば、必ずや後悔します」と涙ながらに訴えたため、孫権も辞退を聞き入れ、代わりに呂蒙を起用した。

 

世の人々は、己の力量を弁え謙虚であると厳畯を褒め称えた。

 

この時、孫権は試しに厳畯を馬に乗せてみたところ、すぐに落馬してしまったという。

 

黄龍元年(229年)、孫権は皇帝に即位すると厳畯を衛尉に任命し、蜀漢へ使者として派遣した。

 

諸葛亮は厳畯を高く評価したという。

 

後に罪を犯した友人を弁護したため、孫権の怒りを買って免職されたが、しばらくして復職し尚書令となった。

 

78歳で没した。

 

没年は不明だが孫登(赤烏2年(241年)没)の遺言に名前が見えるので、死去はそれ以降ということになる。

 

『三国志演義』では、孫権が呉の国主となり集めた人材の一人として名が挙がる。

 

赤壁の戦いの際、降伏派の一人として諸葛亮に論戦を挑むが敗れた。

 

陳寿は厳畯を「程秉・闞沢と並んで一代の学者であった。己の栄達を犠牲にして友人を救った」と評している。

 

wikiより

覚える特殊能力

三国志5 武将 厳畯【混乱・収拾・鼓舞・消火・激励・水計】

陣形

【箕形の陣】(きけいのじん)

平地型の陣形平地向きの陣形。攻撃を受けた時に敵の損害を負傷だけにとどめ、脂肪率を下げることができる。城の上など、回復が可能な場所に陣取ると効果的で、どちらかといえば射撃戦向き。

関連兵器なし

攻撃力・C 防御力・B 弓攻撃力・B 弓防御力・B 機動力・D 射程2

 

【長蛇の陣】(ちょうだ)

山岳型山林で驚異的な機動力を発揮する陣形。防御力・攻撃力はさほどではないので、遠くの敵に接近するのに使うと良い。新兵器である『筒袖鎧』で防御力と弓防御力を高められる。『筒袖鎧』(とうしゅうがい、つつそでよろい)は、中国の甲冑・鎧の形式の一つ。古代中期に用いられた。

新兵器『筒袖鎧』を開発・【無】

攻撃力・C 防御力・C 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・S 射程2

新兵器『筒袖鎧』を開発・【有】

攻撃力・C 防御力・B 弓攻撃力・D 弓防御力・B 機動力・S 射程2

 

その他の陣形

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武将パラメーター

三国志5 武将 厳畯武力【武】14 知力【知】72 魅力【魅】75 政治【政】69

 

※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。

 

経験値51008・勇名1484