三国志5 武将 王允

王允(おういん)

三国志5 武将 王允王 允(おう いん、137年 – 192年)

 

呂布と共謀して董卓を殺害したが、その部下に逆襲されて殺害された。

 

若い頃、名儒として名を馳せていた郭泰から「王允は一日に千里を走り、王佐の才(王を佐(たす)ける才、主君に仕えてその人を偉大足らしめる才能の持ち主)である」と英才の誉れと評されていた。

 

19歳にして郡の役人となった。

 

184年の黄巾の乱に際しては豫州刺史となり、荀爽・孔融らを幕僚に迎え黄巾軍を撃破した。

 

乱終結後、王允は十常侍の張譲が黄巾軍と繋がっていたことを告訴したが、張譲が謝ったことで霊帝がこれを許してしまったため、張譲からの逆恨みで投獄されてしまった。

 

死刑に処されるところであったが、多数の助命嘆願により命を救われた。

 

董卓政権になると黄琬や部下の士孫瑞と話し合い、董卓暗殺計画を練って実施の準備を始めた。

 

暗殺を引き受けたのは、王允と同じ并州出身で董卓の寵臣となっていた呂布。

 

その後、董卓は暗殺され呂布らが、董卓の財産を協力した兵たちに賞与として分け与えるよう提案したが、王允はこれも拒否した。

 

さらに王允がかねてから呂布を軽視し、呂布も自分の功績を誇ることが多かったため、両者の仲は次第に悪化していったという。

 

董卓の部下であった李傕・郭汜ら涼州出身者は降伏を願い出たが王允は許さなかった。

 

このため同年6月、李傕・郭汜らが賈詡の助言により都に攻め入ると、王允に反発した胡軫・楊定の裏切りもあり、王允・呂布らは敗北した。

 

敗れた呂布が撤退時に王允に同行を誘ったが、王允は「国家の安定が、私の願いでした。」と処刑される覚悟で、長安に残った。

 

呂布を破った李傕らは長安へ侵入し、董卓暗殺に加担した有力者らを次々と殺害、献帝の避難所に迫った。

 

献帝が李傕らを詰問したが、李傕らは「陛下に忠を尽くし、董卓暗殺の復讐をしたまでのことです。終わり次第、罪を受けます」と弁明した。

 

行き場を失った王允は逮捕・処刑された。齢57。

 

子らをはじめ一族も皆殺しとなり、全員が晒し首となった。長安の人々は、老若男女問わず全員が涙を流したという。

 

『三国志演義』では、養女の貂蝉という美女を使って、董卓と呂布を仲違いさせたことになっている。

 

この策を「連環の計」と呼ぶ。

 

この話は上述の、呂布が董卓の侍女と密通していたという話から創られたと考えられる。

 

また「七星宝刀」を董卓暗殺のため曹操に渡している。

 

wikiより

覚える特殊能力

三国志5 武将 王允【混乱・同討・収拾・沈着・陣立・反計】

陣形

【鈎行の陣】(こうこうの陣)

山岳型の陣形山岳及び森林に適している。攻撃を受けた際に兵士が死亡せず、負傷するだけに止まる確率が高い。負傷した兵は回復可能なので実質的な兵の損耗が減らせる。防御向きの陣形である。

連弩  【無】

攻撃力・D 防御力・B 弓攻撃力・B 弓防御力・A 機動力・B 射程2

連弩  【有】

攻撃力・D 防御力・B 弓攻撃力・A 弓防御力・A 機動力・B 射程3

 

【箕形の陣】(きけいのじん)

平地型の陣形平地向きの陣形。攻撃を受けた時に敵の損害を負傷だけにとどめ、脂肪率を下げることができる。城の上など、回復が可能な場所に陣取ると効果的で、どちらかといえば射撃戦向き。

関連兵器なし

攻撃力・C 防御力・B 弓攻撃力・B 弓防御力・B 機動力・D 射程2

 

その他の陣形

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武将パラメーター

三国志5 武将 王允武力【武】29 知力【知】72 魅力【魅】78 政治【政】92

 

※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。

 

経験値45055・勇名2782