逢紀(ほうき)
逢 紀(ほう き、? – 202年)
聡明で計略に長じていた。
何進に仕えていた頃から袁紹とは親しく、後に許攸とともにその旗揚げを助け参謀として仕えた。
逢紀は袁紹に「公孫瓚に韓馥を攻めさせて、韓馥が臆病になったところを、使者を派遣して利害損得を説明させれば、韓馥は冀州を(袁紹に)譲るでしょう。」と語った。
袁紹が、この提案に従ったところ、公孫瓚は韓馥を攻撃した。
初平2年(191年)、逢紀の思惑通り、袁紹は韓馥から冀州を譲り受け、河北袁紹政権の基礎を築いた。
後に、逢紀は審配と共に袁紹軍の軍務を総理した。
最古参の臣下であることや、政権の基礎を築くなど袁紹の危機を救ったため、参謀の中でも最も重用されたが、同僚であった審配・田豊とは仲が悪く、常に対立していた。
特に後者との不仲は深刻で、建安5年(200年)の官渡の戦いのときに、袁紹が田豊の進言を用いなかったのは、逢紀の讒言を信じていたためと言われている。
敗戦後には、袁紹に讒言して田豊を処刑させたとされる。
逢紀は袁紹死後に三男袁尚を審配と共に支持し、長男袁譚を支持する郭図・辛評らの一派と対立。
袁氏勢力は分裂し内紛を見て、同年9月に曹操が侵攻し
袁尚は袁譚に命じてこれを迎撃させたが、袁譚が増援を頼んでも、袁尚は増援を送らず曹操軍に大敗し怒った袁譚は、袁尚が自分の目付役として付けていた逢紀を殺害した。
『三国志演義』では、事跡は史実とほぼ同様。
郭図が袁尚に救援を求める使者として訪れた際、郭図は袁譚の参謀として審配か逢紀のいずれか1人を派遣するよう袁尚に強く求める。
このため袁尚は已む無く2人に籤を引かせたが、逢紀が当たり籤を引いてしまう。
郭図の狙いは、単に人質を捕るためのものだった。
wikiより
覚える特殊能力
【混乱・同討・収拾・消火・伏兵・陣立】
陣形
【錐行の陣】
平地型の陣形機動性を重視した強襲用の陣形。素早く敵に接近することに向いている。弓攻撃力・弓防御力は最低なので射撃戦には向かない。研究で『強化騎兵』があれば攻撃力・防御力が更に上昇する。
強化騎兵 【無】
攻撃力・C 防御力・C 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・S 射程2
強化騎兵 【有】
攻撃力・A 防御力・B 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・S 射程2
【魚鱗の陣】
平地型平地形で「突撃」を実行できる陣形。攻撃力は全陣形中で最も最高。しかし、防御力・弓防御力は最低で、ある程度の損害を覚悟の上でとにかく早く敵を倒したい時に使う陣形。
関連兵器なし
攻撃力・A 防御力・D 弓攻撃力・C 弓防御力・D 機動力・A 射程2
【雁行の陣】(がんこうのじん)
平地型弓での攻撃に特化した陣形。弓攻撃・弓防御は各陣形中最高、射程も長い。敵と接しての攻撃力は最低なので、味方部隊の後ろから援護射撃が適している。
関連兵器なし
攻撃力・D 防御力・B 弓攻撃力・A 弓防御力・A 機動力・B 射程3
その他の陣形
武将パラメーター
武力【武】60 知力【知】85 魅力【魅】61 政治【政】61
※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。
経験値45850・勇名5534