呂蒙(りょもう)
呂 蒙(りょ もう、178年 – 219年)
15歳で、賊の討伐に出向いた鄧当の軍にこっそりついて行った。
(鄧当は姉の夫で、孫策の部将)
数年後に鄧当が死去すると、張昭の推薦で、呂蒙が鄧当の任務を引き継ぐ
建安5年(200年)、孫策が死去し、その弟である孫権が跡を継いだ。
孫権は軍団の統廃合を考え、呂蒙は付け届けをして、自分の兵士に赤い服装を身に付けさせ、閲兵式に臨んだ。
孫権は呂蒙の軍団の見事さと、よく訓練がされている事に喜び、呂蒙の軍団の兵士を増やしてやったという。
黄祖との戦いでは先鋒を務め、敵の水軍都督陳就を自ら討ち取り勝利する。
建安13年(208年)の烏林の戦い(赤壁の戦い)では、周瑜や程普とともに戦って、曹操を破る功績を挙げた。
孫権は成人してから学問に励んだ武将として、呂蒙と蔣欽を挙げている。
呂蒙は関羽を討ち、荊州を奪還する。
呂蒙は219年末に死去した。享年42。
『三国志演義』では、孫権の時代に集まった人材の一人として名が挙がり、敵国の民衆に対しても公正な人物として描かれている。
正史でも演義でも、赤壁・烏林・南郡・荊州平定の戦いでは、周瑜の左腕としても重要な役割を果たした。
呂蒙は孫権に学問をするよう勧められて、独学で文武両道な指揮官になった。
昔、魯粛は呂蒙を軽蔑していたが、独学した呂蒙を見て態度を変えた。
10月14日に関羽を討ち取り、12月17日にその宴で関羽の亡霊に取り憑かれ、孫権に掴みかかって「碧い眼の小童、赤ひげのねずみめ、拙者が誰か解るか」と言い放つや、「黄巾賊を破って以来天下を縦横し三十余年、今お主の奸計にかかり、拙者はもはや生きてお主の肉を食らう事はできぬが、死して呂蒙の魂を道連れにせん。
我こそは漢の寿亭侯関雲長なり」と絶叫し、体中の穴という穴から血を吹いて死んだという描写になっている。
五丈原の戦いで、司馬懿は司馬師に「蜀軍を降伏させたことは、呂蒙の心理謀略に倣うた」と言った。
wikiより
覚える特殊能力
【水計・強行・沈着・水神・反計・応射】
陣形
【錐行の陣】
平地型の陣形機動性を重視した強襲用の陣形。素早く敵に接近することに向いている。弓攻撃力・弓防御力は最低なので射撃戦には向かない。研究で『強化騎兵』があれば攻撃力・防御力が更に上昇する。
強化騎兵 【無】
攻撃力・C 防御力・C 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・S 射程2
強化騎兵 【有】
攻撃力・A 防御力・B 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・S 射程2
【鶴翼の陣】(かくよく)
平地型唯一『一斉攻撃』が実行できる陣形。一斉攻撃は非常に強力なので城にこもった敵を複数の味方部隊で包囲したとき使える。弓の攻撃力は高いので射撃戦には有利。
関連兵器なし
攻撃力・C 防御力・B 弓攻撃力・A 弓防御力・D 機動力・C 射程2
【偃月の陣】(えんげつ)
平地型の陣形クリティカルヒット(攻撃力が2倍)発生確率が上がる陣形で、クリティカルヒットは武将の勇名な高いほど発生しやすく、勇名が高い武将にこの陣形を使わせると効果的。
関連兵器はなし
攻撃力・B 防御力・B 弓攻撃力・C 弓防御力・C 機動力・D 射程2
【長蛇の陣】(ちょうだ)
山岳型山林で驚異的な機動力を発揮する陣形。防御力・攻撃力はさほどではないので、遠くの敵に接近するのに使うと良い。新兵器である『筒袖鎧』で防御力と弓防御力を高められる。『筒袖鎧』(とうしゅうがい、つつそでよろい)は、中国の甲冑・鎧の形式の一つ。古代中期に用いられた。
新兵器『筒袖鎧』を開発・【無】
攻撃力・C 防御力・C 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・S 射程2
新兵器『筒袖鎧』を開発・【有】
攻撃力・C 防御力・B 弓攻撃力・D 弓防御力・B 機動力・S 射程2
【雁行の陣】(がんこうのじん)
平地型弓での攻撃に特化した陣形。弓攻撃・弓防御は各陣形中最高、射程も長い。敵と接しての攻撃力は最低なので、味方部隊の後ろから援護射撃が適している。
関連兵器なし
攻撃力・D 防御力・B 弓攻撃力・A 弓防御力・A 機動力・B 射程3
【水陣】(すいじん)
水上型唯一の水上専用陣形。陸上では防御力が激減するので役に立たないが水上では無敵の陣形に変身する。新兵器の『楼船』(ろうせん)があれば攻撃・防御・弓防御が上がる。
新兵器『楼船』を開発・【無】
攻撃力・B 防御力・B 弓攻撃力・C 弓防御力・B 機動力・A 射程2
新兵器『楼船』を開発・【有】
攻撃力・A 防御力・A 弓攻撃力・C 弓防御力・A 機動力・A 射程2
その他の陣形
武将パラメーター
武力【武】85 知力【知】90 魅力【魅】84 政治【政】80
※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。
経験値32043・勇名5867