曹純(そうじゅん)
曹 純(そう じゅん、174年?- 210年)
同母兄は曹仁。従兄は曹操。
曹純が14歳のときに父が39歳で死去した。
兄の曹仁が別居していたため、曹純が家を継いだ。
曹純は財産をよく管理し、数百人の召使・食客をよく監督したので、郷里の人々に有能だと認められた(『英雄記』)。
学問好きで学者を敬愛したため、多くの学者が曹純の下に集まり、人々から賞賛された
曹純は18歳のときに黄門侍郎となり、20歳のときに曹操に仕えた。
曹操は虎豹騎という精鋭騎兵隊を持っていたが、悩んだ末にその指揮官を曹純に任した。
曹純は虎豹騎の指揮官になると、よく部下を可愛がり統率したので、部下からの信望が厚かったという(『魏書』)。
建安10年(205年)、曹純は虎豹騎の指揮を執り、袁譚の籠る南皮の包囲戦に参加した。
袁譚が軍の指揮を執って出撃し、曹操軍が多大な被害を受けると、曹操は撤退しようとした。
だが、曹純は「遠方に遠征しているので、今退けば威光を失うでしょう。敵が勝利につけあがっており、自軍は敗北し慎重になっています。慎重さをもって、つけあがっている者と戦えば必ず勝てるでしょう」と進言した。
曹操はこの意見を尤もだと考え、袁譚を激しく攻め立て敗走させた。
曹純は直属の騎兵を指揮して追撃し、袁譚の首を斬った。
建安12年(207年)、烏桓との戦い(白狼山の戦い)では、曹純の騎馬隊が蹋頓を捕虜にした。
翌建安13年(208年)、曹操の荊州平定戦にも随行した。
長坂では劉備を追撃し、劉備の2人の娘を初めとして多くの捕虜と輜重を得た。
また、そのまま進撃し江陵を降した。
建安15年(210年)に死去。
『三国志演義』では、虎豹騎指揮官としての事跡は描かれていない。
南郡攻防戦で曹仁の部将として登場し、孫権軍の周瑜と戦い大敗している。
潼関での馬超との戦いでも曹操に従軍する設定となっている。
wikiより
覚える特殊能力
【火計・同討・収拾・鼓舞・消火・伏兵】
陣形
【錐行の陣】
平地型の陣形機動性を重視した強襲用の陣形。素早く敵に接近することに向いている。弓攻撃力・弓防御力は最低なので射撃戦には向かない。研究で『強化騎兵』があれば攻撃力・防御力が更に上昇する。
強化騎兵 【無】
攻撃力・C 防御力・C 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・S 射程2
強化騎兵 【有】
攻撃力・A 防御力・B 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・S 射程2
【鈎行の陣】(こうこうの陣)
山岳型の陣形山岳及び森林に適している。攻撃を受けた際に兵士が死亡せず、負傷するだけに止まる確率が高い。負傷した兵は回復可能なので実質的な兵の損耗が減らせる。防御向きの陣形である。
連弩 【無】
攻撃力・D 防御力・B 弓攻撃力・B 弓防御力・A 機動力・B 射程2
連弩 【有】
攻撃力・D 防御力・B 弓攻撃力・A 弓防御力・A 機動力・B 射程3
【箕形の陣】(きけいのじん)
平地型の陣形平地向きの陣形。攻撃を受けた時に敵の損害を負傷だけにとどめ、脂肪率を下げることができる。城の上など、回復が可能な場所に陣取ると効果的で、どちらかといえば射撃戦向き。
関連兵器なし
攻撃力・C 防御力・B 弓攻撃力・B 弓防御力・B 機動力・D 射程2
【鶴翼の陣】(かくよく)
平地型唯一『一斉攻撃』が実行できる陣形。一斉攻撃は非常に強力なので城にこもった敵を複数の味方部隊で包囲したとき使える。弓の攻撃力は高いので射撃戦には有利。
関連兵器なし
攻撃力・C 防御力・B 弓攻撃力・A 弓防御力・D 機動力・C 射程2
【偃月の陣】(えんげつ)
平地型の陣形クリティカルヒット(攻撃力が2倍)発生確率が上がる陣形で、クリティカルヒットは武将の勇名な高いほど発生しやすく、勇名が高い武将にこの陣形を使わせると効果的。
関連兵器はなし
攻撃力・B 防御力・B 弓攻撃力・C 弓防御力・C 機動力・D 射程2
その他の陣形
武将パラメーター
武力【武】63 知力【知】63 魅力【魅】61 政治【政】44
※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。
経験値33015・勇名5750