郭図(かくと)
郭 図(かく と、? – 205年)
潁川郡の計吏であったが、太守の陰脩から荀彧・荀攸・鍾繇らと共に官吏として推挙される。
同郡の荀諶・辛評らと共に袁紹に仕えた。
同郡の郭嘉は袁紹から去る時、辛評と郭図に袁紹の欠点を告げたという。
初平2年(191年)、郭図は荀諶・張導・高幹らと共に韓馥を説得し、冀州を袁紹に譲らせた。
建安5年(200年)2月、官渡の戦いが始まると、郭図は淳于瓊・顔良と共に白馬に駐留する劉延を攻撃した。
曹操軍の荀攸の計略により、顔良・文醜の両将を喪失するなど苦戦した。
沮授が病気を口実に黄河を渡ろうとしなったので、袁紹はこれを恨んで沮授の兵を郭図に編入した。
建安7年(202年)に袁紹が死去すると、郭図は辛評と共に長男袁譚を後継者に推戴した。
これに対し、郭図・辛評と不仲であった審配・逢紀が三男袁尚を推戴したため、これが袁氏の内紛につながってしまう。
袁譚は出撃して曹操軍を攻撃して大いに怯ませるが、最終的に敗北し、郭図は袁譚と共に殺された。
『三国志演義』では無能な参謀として描かれており、袁氏を衰亡させたように扱われている。
官渡の戦いの前哨戦で、関羽に文醜を討ち取られた際には、劉備を処刑するよう審配と共に袁紹に進言するが、劉備に巧言で逃れられている。
劉備が劉表の下へ向かうと申し出ると、それを阻むよう袁紹に諫止したが、容れられていない。
劉備は戻って来なかったため、袁紹がこれを討伐しようとすると、それよりも孫策と同盟して曹操を討つよう進言し、受け入れられている。
官渡戦や袁氏内紛については、史実とほぼ同様の展開である。
南皮の戦いでは楽進に弓で射られ、城の堀に転落して死んだことになっている。
wikiより
覚える特殊能力
【火計・混乱・同討・雨乞・消火・陣立】
陣形
【錐行の陣】
平地型の陣形機動性を重視した強襲用の陣形。素早く敵に接近することに向いている。弓攻撃力・弓防御力は最低なので射撃戦には向かない。研究で『強化騎兵』があれば攻撃力・防御力が更に上昇する。
強化騎兵 【無】
攻撃力・C 防御力・C 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・S 射程2
強化騎兵 【有】
攻撃力・A 防御力・B 弓攻撃力・D 弓防御力・D 機動力・S 射程2
【鈎行の陣】(こうこうの陣)
山岳型の陣形山岳及び森林に適している。攻撃を受けた際に兵士が死亡せず、負傷するだけに止まる確率が高い。負傷した兵は回復可能なので実質的な兵の損耗が減らせる。防御向きの陣形である。
連弩 【無】
攻撃力・D 防御力・B 弓攻撃力・B 弓防御力・A 機動力・B 射程2
連弩 【有】
攻撃力・D 防御力・B 弓攻撃力・A 弓防御力・A 機動力・B 射程3
【魚鱗の陣】
平地型平地形で「突撃」を実行できる陣形。攻撃力は全陣形中で最も最高。しかし、防御力・弓防御力は最低で、ある程度の損害を覚悟の上でとにかく早く敵を倒したい時に使う陣形。
関連兵器なし
攻撃力・A 防御力・D 弓攻撃力・C 弓防御力・D 機動力・A 射程2
【方円の陣】(ほうえんの陣)
平地型の陣形防御に徹した陣形。どの方向から攻撃をされても防御が変わらないため、包囲されても不利にはならない。攻撃力は低いが『発石車』があれば弓攻撃力が飛躍的に上がる。
発石車 【無】
攻撃力・D 防御力・A 弓攻撃力・D 弓防御力・A 機動力・D 射程3
発石車 【有】
攻撃力・D 防御力・A 弓攻撃力・A 弓防御力・A 機動力・D 射程3
その他の陣形
武将パラメーター
武力【武】32 知力【知】80 魅力【魅】43 政治【政】72
※【修行】などでパラメーターが上がっている場合があります。
経験値42901・勇名5154