知力【38】武力【44】魅力【41】
なんか低ない?
三国志2ではかなり過小評価してますね
続いて、三国志5の楽進です。【能力値】
かなり見直されてますね
武力【武】80 知力【知】54 魅力【魅】78 政治【政】40
これ蒼天航路でもだいぶイメージが変わったって人も多いでしょう。
そういうと1年前にも楽進の雑談記事を書いていました。
ただの雑談なので、内容は大したことないですが個人的に楽進は結構好きな武将です。
楽進はwikiでも書いてある通り
小柄がだ、戦闘では先陣を切り度胸がある武闘派。
最初は曹操配下の文官だった。
出身郡へ帰らせて兵を集めさせたところ、楽進は1000もの兵を引き連れ帰還。
五大将の一人で実戦経験が豊富な武将とある。
『魏書』第十七「張楽于張徐伝」に伝でにはこうある。
活躍した曹魏の将軍のうち、張遼、楽進、于禁、張郃、徐晃の5人を指す。
前将軍・張遼、右将軍(前任)・楽進、左将軍(前任)・于禁、左将軍(後任)・張郃、右将軍(後任)・徐晃、
後将軍・朱霊と、全員が四方将軍に任じられている。
【夏侯惇、夏侯淵や曹仁などの優れた将はいるが、彼らは曹操の親族であるために伝は別巻になっている。】
wikiより
張遼・楽進・于禁・張郃・徐晃この5名に入るんだから、蜀将の五虎大将軍と匹敵する武力を持っていても良いはずだが、蜀は義兄弟である身内揃いですね
【関羽・張飛・馬超・黄忠・趙雲】
『三国志演義』
筆頭には関羽で趙雲は他の四名より位が低く、関羽・張飛の2名は劉備の義兄弟であり、黄忠は老将、馬超は新参の武将と、地位・老若・経歴などは選出に問われなかった。
『正史』でも
『蜀志』第6巻 「関張馬黄趙伝」として、1巻にまとめて記述されている。
関羽、張飛、馬超、黄忠の4人が、それぞれ前将軍、右将軍、左将軍、後将軍に任じられた。
趙雲はこのなかで比較的、昇進は遅く、新参の馬超、黄忠らに追い抜かれていた。
関羽・張飛は「万人之敵(一人で一万人と戦えるほどの猛者)」。
また、『張飛伝』でも、程昱らが同様の賞賛をしている。
『馬超伝』本文では、馬超は「剛力(の持ち主)」、楊阜が曹操に進言した際には、「韓信・黥布の武勇」。
「評」では「猛勇」。
『黄忠伝』本文では、「勇毅冠三軍(黄忠は三軍筆頭の勇者)」。
趙雲は、『季漢輔臣賛』に「忠義と勇猛さを兼ね備えていた」陳寿の評では黄忠とならび壮猛で軍の爪牙となった、と記述されている。
とwikiにある。
蜀将は身内混ざってるからまだしも、身内なしの魏将で五大将を結成しこれを比べるとなると難しい部分がある。
改めて五大将を見ると張遼、楽進、于禁、張郃、徐晃の5人で
この名前の順番が重要で、この順は強さのランクずけされていると思われる。
蜀将である五虎大将軍がそうであったように、なので楽進も結構強かったんじゃないのかな〜と個人的には思います。
于禁も強かったけど途中、やむなく関羽に投降するし最後がかわいそうです。
典韋は強かったけど胡車児に奇襲を食らっていなくなり
李典・許褚は別ジャンルということなのかな?
最後に後将軍にしれっと朱霊も登場してます。
なので、楽進は三国志2では過小評価されていたという話でした。
でも、ネットの情報とかもない時代にこれだけのゲームデータを作り上げる事がまず
凄いことであることは間違いないです。
しかも、三国志2の顔グラってモブ画像がないと言っても過言ではないぐらいの作り込みです。
確か三国志2の登場武将は350人と書いてありました。
因みに前作の三国志(1)では255人だったそうです。
そのうちに三国志(1)の武将との比較をしゲームの進化と武将の変化を調べてみるのも面白そうですね