紀霊(きれい)
ちりょく【知力】31 ぶりょく【武力】62 みりょく【魅力】55
(三国志2武将データ:紀霊)
武力【武】83 知力【知】33 魅力【魅】46 政治【政】31
(三国志5武将データ:紀霊)
袁術の配下。
なんか三国志2の紀霊って弱いんじゃない?って思ったのは私だけでしょうか?
確か三国志演義では、紀霊は関羽との一騎討ちで30合余り打ち合っている。
だが、紀霊は休憩を提案し、後に再戦を求める関羽の申し出を拒絶している。
結構強いくないか?
黄忠ですら関羽に一騎討ちで互角に戦うが、馬が躓き危うく討ち取られそうになる。
関羽は黄忠の武勇を認め「貴殿のお命しばし預けた。早く馬を換えて戦いに戻られよ」と言い、これを見逃している。
これに恩義を感じた黄忠は再戦時に、関羽の兜の緒に矢を命中させる事で、関羽の命を奪うことなく撤退させる。
とあるが、黄忠の馬が悪かったのかな?
この頃の関羽の馬は赤兎馬だったはず、馬の違いでれ、黄忠は一度倒されている。
ここは、少し悩むところでもあるが、紀霊はもっと強いではないだろうか?
華雄ですら関羽の前で、一合にして討ち取られてしまう。
一合で討ち取れてしまった華雄が三国志5では武力【武】90です。
もう一度言うが、紀霊は関羽との一騎討ちで30合余り打ち合っている。
紀霊は武力95ぐらいあっても良いのではないだろうか?
史実では紀霊と劉備の仲裁に出た呂布は紀霊に対し「地面に挿した戟の小枝(胡)に矢を射当てたら軍を引き揚げよ」と申し渡し、見事そこに矢を射当てた。
紀霊は約束により止むを得ず兵を引いた。
このエピソードが有名だが、その後の動向は不明となっている。
普通に考えて全く資料がないから、このような努力パラメーターなのかと思います。
だが、史実に忠実性をだすのならば趙雲は五虎大将軍の中で一番弱い地位になる。
それにより武力99(三国志2での趙雲の武力)は高いのではないだろうか?
なので紀霊も三国志演義では関羽と一騎討ちで30合余り打ち合っていることは間違いない、その後は一度休憩を提案した上で戦闘を拒絶したが、結構やり合っている。
もう一度言うが華雄は一合で関羽に負けている。
これは関羽の本気度が違かったのではないだろうか?とも思える。
華雄の首はある種のツケみたいなもので、これで奥方様と自身の自由の為でもあった。
赤兎馬までもらっちゃったもんな〜、それでも赤壁で曹操が敗走する際に関羽は曹操を逃がすところが何とも言えない良い場面でもある。
なんだろうね〜敵も味方ないと言うか個人の魅力によるのだろう。
曹操は、関羽が死んだ際に墓を建て「私なら関羽を死なせはしなかった。」と場面がドラマ三国志である。
つまり、君主としてあのような人事配置はしなかったと言っているようだ。
多分、曹操ならばそれが可能だっただろう。
孔明は軍師としては有能だが、人当たりというか、どちらかと言うと人は選ぶ傾向にあったのではないだろうか?
こんなとき龐統がいれば何とかなったのだろうと思えるが、入蜀する上で大義名分が欲しかった劉備に対し命をかけて捧げたのだろうと思える。