三国志2 武将データ 凌操

三国志2 武将データ 凌操

ぶりょく【武力】82  ちりょく【知力】28  みりょく【魅力】51

 

剛毅果断な人物であり、武勇に秀でていた。

 

孫策が兵を興すと自身もそれに従い、常に孫策軍の先鋒を任された。

 

永平県令を務め、山越討伐などの功績により破賊校尉に昇進した。

 

建安8年(203年)、孫権が黄祖討伐の軍を起こした際も先鋒を務めて活躍したが、流れ矢に当たって戦死した。

 

一説によれば、敗走する黄祖軍を追撃していたところを、殿軍を率いていた甘寧の矢を受けて死んだという。wikiより

 

三国志5での能力はこんな感じです。

 

武力【武】82 知力【知】43 魅力【魅】57 政治【政】44

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武力が全く一緒です。

知力と魅力が上がってますね

 

甘寧の矢があたったとある。

 

この頃はまだ呉将ではなかった甘寧に攻撃されては回避するのは困難だったんだろう。

 

甘氏は厳氏(厳顔)・文氏(文立)・楊氏・杜氏と共に巴郡臨江の大姓(大豪族)であったとwikiにある。

 

甘寧のエピソードを見るに

 

10代前半の頃から気概があって遊侠を好み、不良の若者を集めて徒党を組み、仲間を派手に武装をさせ、彼らの頭領となった。

 

仲間たちは皆、羽飾りを背負い、鈴を常に携えていたので、民衆は鈴の音を聞いただけでそれが甘寧一味だと分かったという。

 

派手な装いで外出し、陸路や水路を闊歩した。

 

人に出会った時は、地方の長官だろうと自分達を盛大に歓待させ、そうしない者には手下を使って財産を奪わせた。

 

また自分が属する地方の長官の領内で犯罪があれば摘発と制裁を行った。

 

このような生活が20年ほど続いたが、あるときを境に乱暴を止める。

 

学問に興味を持ち、いくつか諸子を読むようになったという。

 

wikiより

 

この格好は蒼天航路の甘寧が当てはまると思います。

 

傾奇者って感じだったんだろうな〜花の慶次(前田慶次)を連想するひともいると思います。

 

どちらも傾奇者には変わりませんね

 

甘寧は劉表のとろこ身を寄せていた。

 

だが劉表は文を重んじ武を軽視したため、甘寧は任用されなかった。

 

これ勿体ないですね〜実際に三国志2の劉表CPUもこれと言って強い武将いなかった気がします。

 

劉表と言うと蒯越、蒯良、蔡瑁、黄祖といったところか(その他にも有名な武将はいるが端折る)

 

甘寧は黄祖の軍の将として、対立する孫権の軍に敗れた黄祖を救援し、その殿を務め、追跡してきた孫権の将である凌操を討ち取るなどの手柄を立てたが、甘寧の待遇はその後も変わらなかった。とwikiにある。

 

待遇変わらないから劉表軍から孫権軍に入ったといったところか。