凌統(りょうとう)
ぶりょく【武力】83 ちりょく【知力】67 みりょく【魅力】73
三国志5での能力
武力【武】83 知力【知】60 魅力【魅】61 政治【政】44
武力はそのまま、知力と魅力は結構下がっている。
凌 統(りょう とう、189年 – 237年?)
正史では凌統の父は凌操で甘寧の矢で殺されてます。
甘寧に復讐心はあったでしょう。
凌統からはこの件で父の仇敵と終生恨まれることとなる。
父の仇である甘寧を恨んでおり、復讐しないよう孫権から釘を差されていた。
ある宴会で凌統が剣舞を舞うと、甘寧はそれに応じた。
これ見て危惧した呂蒙は二人の間に入り、事を起こさないように振る舞った。
これを聞いた孫権は、すぐに甘寧を半洲へ移した。wikiより
だが、『三国志演義』脚色されている。
凌統は攻めてきた張遼と一騎打ちに及び、五十合に及んでも勝負がつかなかった。
孫権は呂蒙に命じて帰ってきた凌統を迎えた。
翌日、凌統は再び張遼との一騎打ちを望んだが、飛び出してきた楽進と一騎討ちとなり、五十合の討ち合いを展開した。
曹操も見に来て、曹休に命じて張遼の後ろからこっそり凌統の馬を射させた。
凌統は曹休の矢を受けて落馬すると、これを見た甘寧が弓矢で楽進を撃退した。
窮地を救われた凌統はそれを契機に恨みを水に流して甘寧と固い親交を結んでいる。
wikiより
三国志演義では甘寧が凌統の危機を救い、親交を結んだとある。
正史では孫権から復讐しないように常に警戒されていたようだ。
実際に戦闘中でも、甘寧救出の際には凌統だけが本陣を守る役回りになっている。
周瑜が荊州南郡を攻撃するとこれにも従軍し
夷陵を占領した甘寧の部隊が敵軍に包囲されると、周瑜が諸将を率いて甘寧を救出に行く間、本陣を守った。
wikiより
明細はこんな感じです。
赤壁の戦いでは周瑜に随行して曹操を烏林で打ち破り、続いて南郡の曹仁攻略に参加した。
甘寧はまず夷陵を奪取すべきとの計略を立て、すぐに手勢1000人ほどを以って陥落させたが、逆に曹仁から5000から6000の兵士を繰り出されて包囲された。
甘寧は猛攻に何日も耐え、平然と談笑して屈しなかった。
使者を出して周瑜に状況を知らせたところ、周瑜は呂蒙の計略を採用し
凌統だけを留守に残し、その他の諸将を率いて甘寧を救援し囲みを解いた。
決戦の末、曹仁は江陵から敗退した。wikiより
最後は病死とある。
年数は諸説あるが、最後は死因は病死と書いてある。