韓玄(かんげん)
ぶりょく【武力】34 ちりょく【知力】21 みりょく【魅力】12
三国志5の韓玄
武力【武】67 知力【知】31 魅力【魅】19 政治【政】20
三国志2の韓玄はかなり弱いですね
こんな弱いのになぜ曹操は太守にしたのか?
韓玄は208年に曹操が荊州を制圧したときの長沙太守であり
209年に劉備が荊州南部に侵攻した時も長沙太守で金旋・劉度・趙範らと共に降伏した。
wikiより
単純に208年長江の赤壁に戦いがあったため、長沙(荊州南部)まで侵略する余裕がなかったと考える。
それにしても三国志2の韓玄は太守としては弱すぎる能力値です。
三国志2での韓玄の使い方は敵国の調査隊として他国の状況を見る為に使ってます。
魅力が低い為、太守しても使えない。(民衆が暴動を起こす。)
因みに暴動を起こすと、住民数・兵士数・土地価値・金・兵糧が下がる。
また住民の反乱が起こる要因は他にもあり
君主の信用度、太守の魅力、民忠誠度が低いと起こります。
実際に君主の信用度39でも民忠100にしていれば何とかなる、だが
太守の魅力が70以上は欲しいところです。
上記の状態で魅力60以下のものをた太守にすると民忠誠度が100であっても暴動を起こします。
序盤で住民数・兵士数・土地価値・金・兵糧が下がるとキツいものがあるので
太守選びは魅力の数値に気をつけてます。
しかし、韓玄の能力の低さはワースト10位ぐらいに入るレベルなのではないか?
武力だけでも多少たりとあれば何とかなったかもしれません
なぜらなば、三国志2敵(CPU)が攻め込んでくる条件として自軍(プレイヤー)の兵糧が少ない場合(CPUの勝ちが見込める)
単純に攻め込まれる国の(プレイヤーの)兵数が少ない場合。
それと太守の武力が弱い場合がある。
例として武力30ぐらいの武将を太守として配置していると、兵数、兵糧数が多くても
敵(CPU)が攻め込んでくるパターンが多いです。
これは太守の武力が弱いため、自軍(プレイヤー)が守りの場合であっても、武装率など相手の武力の差も関係するが、武力30ぐらいの武将を太守として配置していると一度の攻撃で3減る場合もある。
これは、一武将ひきいることの出来る兵数が100とすると、そこから一度の攻撃で3減ることになる。
これで囲まれて一斉攻撃でもされた場合は、壊滅寸残になったことがあります。
だが、逆にこれを利用して守りの戦闘の場合は武将10名を配置出来るので、上手く利用して敵を誘き寄せる方法もります。