譚雄(たんゆう)
ぶりょく【武力】81 ちりょく【知力】22 みりょく【魅力】32
三国志5での譚雄能力値はこんな感じです。
武力【武】78 知力【知】21 魅力【魅】22 政治【政】20
三国志2と比べると、武力は3下がり、知力は1下がり、魅力は10下がってます。
譚雄に関しては『三国志演義』に登場する架空の武将。
呉の孫桓の部将として登場。
劉備の呉への侵攻時に、孫桓に従って蜀軍を迎撃する。
同僚の李異が張苞に討ち取られそうになると、矢で張苞の馬を射止めて救援するが、それも及ばず、李異は関興に斬られてしまう。
その翌日、譚雄も関興に生け捕りにされてしまい、前日の馬の霊を慰めるために、張苞の手で斬首される。
史実では呉に譚姓の武将が存在するが、譚雄の名は見当たらず、モデルが誰かも不明である。
wikiより
それにしても三国志2の譚雄って兜が独特ですよね三国志5でも他の武将と比べると、配色が豊富で、耳のところに羽がついている。
三国志2での譚雄の兜はバイキング風ですね、架空の武将だけあってかなりの遊び心がある顔グラですね
三国志2の譚雄は武力81と結構強めなので、最悪一騎討ちで何とか戦えなくもないレベルです。
武闘派武将としては、かなり良い方です。
三国志2って結構架空武将多い気がします。
wikiで三国志2の武将数を調べるとこのように書いてある。
三国時代末期の武将も追加され武将数は352人(後述の特殊な武将を除く)と増加した。
一方で、国の数は58から41へと減少している。
また、パソコン版のみ、特殊な武将として華佗、許子将、司馬徽、貂蝉が登場する。
在野武将の登場年齢が平均して引き上げられた。黄忠のように50代半ばにならないと登場しない武将もいる。wikiより
そう言うと三国志2で五虎大将軍を集めようとすると黄忠だけが何故かいないというパターンが多く、その要因としては長沙まで遠いのと50代半ばにならないと登場しない武将も存在するシステムがあるとは知りませんでした。
若い頃の黄忠って正史に載っていなかったのかな?
正史ではこうある。
劉表に仕え、中郎将に任じられた。
後に、劉表の従子である劉磐と共に、長沙郡の攸県の守備の任についていた。
しかし劉表が亡くなり、曹操が荊州を降伏させた後は、曹操より仮の裨将軍に任じられ、職務はそのままで長沙太守であった韓玄の配下についた。
wikiより
劉表に仕えていて、甥(おい)である劉磐と共に、長沙郡の攸県の守備の任についた。
とある若い頃の劉表と黄忠配下の頃だと董卓でも攻め入るのは困難だったんだろと思います。
そもそも大河である長江があるので騎馬民族にはキツイものがある。
中原の覇者・曹操でさえ赤壁で大敗し敗走する。
実際に元寇だって大群でも何とかなったのだから、実際にはモンゴル騎馬兵は日本に攻め込まず、降伏した国々のものに任せていたという話もある。
フビライは本気ではなかったという話もある。