陳嬉(ちんき)
ぶりょく【武力】64 ちりょく【知力】24 みりょく【魅力】34
この武将は、演技でも正史でもない武将のようだ。
ゲーム脳歴史ライター、三国志ゲーム動画で有名な方:うどん先生が電撃PlayStation内の記事はこう書いてある。
初代『三國志』と『II』に登場した【陳嬉】と、『II』に登場した【楊平】
彼らの出典は、演義でも正史でもなく、当時バイブルだった吉川英治版三国志。
陳嬉は周瑜が南郡を攻めた際、曹仁の配下として登場した武将。
楊平は張魯の部下で、楊任楊昂とトリオを組んだ武将。
当時の三国志は吉川英治版と横山三国志を参考にゲームを作っていたのか?
調べると、このように書いてありました。
曹仁、曹洪、曹純、陳嬉、牛金などは、鳩首して密議にかかった。
その結果、深更に及んで、呉の陣へ、大襲を決行した。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ふりがな文庫より
吉川英治『三国志』を題材としているようですね
更に調べると、あるサイトのこのように書いてありした。
演義には登場しない「陳嬉」「楊平」なる人物が登場。
「陳嬉」は陳矯の誤記、「楊平」は地名陽平関との混同のようだ。
ということは、存在しない武将ということで、ミスではないのかもしれませんが、定かではない人物ということになる。
だが、千年以上前の伝説の話をここまで忠実にゲームの落とし込んだ方が偉業と言ったところです。
定かではない武将なので『初代・三国志』『三国志2』で登場した武将という時代背景もわかりますね、当時、資料となるものが無かったのかもしれませんが、『初代・三国志』『三国志2』まで時間をかけて、武将の選別のようなものが行われていったのだろうと考えられる。
顔グラだって進化していくのだから、武将エピソードも三国志5では書いてありましたもんね、ゲーム開発における仕事量を考えるとやっぱり、文化遺産と言っても過言ではないKOEI武将データです。
NETデータとしての資産価値半端ないですね
また、初代・三国志のリメイク版では修正というか変更が入っている。
『三國志』(さんごくし)1985年12月10日に日本の光栄から発売されたPC-8801mk2SR用歴史シミュレーションゲーム。
リメイク作(スーパーファミコン版やPlayStation版など)では梁紀は楽就、陳嬉は韓浩、劉延は劉賢にそれぞれ名前が変わっているが、スペックは全く同一。wikiより
これ、リメイク版では武将が変わっているということになる、ゲーマーならば初代作品とリメイク版では違いがあるということになる。
陳嬉は韓浩に変わっているとなると、相当こんがらがってしまう内容になる。
韓浩は、また別の武将なのではないのか?
わかりませんが、吉川英治『三国志』の陳嬉は陳矯のことではなかったのか?
解釈としては韓浩と陳矯が存在し【陳嬉】は吉川三国志の幻としておきます。